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この文章を書くにあたってのお礼と感謝ずっと、私の人生のテーマになっている「幸せに生きる」ということ。 大学の卒論のテーマが偶然にも宮澤賢治の銀河鉄道の夜における幸福論になり、そこで「まだこの論文は完結していないね。研究し続けなさい」と言ってくださった恩師の言葉を胸に、そこから長い間そのことと向き合う時間も取れず時が過ぎていきました。 しかしその間ありがたいことに、「教育」という場所で向き合う人の「幸せ」と対峙しながら人生の半分以上を過ごすことができました。 この文章も構想し
あらためて「幸せに生きる」とは何かを考えると、自分の「好き」を集めてその瞬間瞬間を精一杯に生きるということなのだうと思います。 「幸せ」とは事柄ではなく感性なので、その感じ方は一人ひとり違っています。 極論かもしれませんが、生きる目的があってもいいし、なくてもいい。 達成したい目標があってもなくてもいい。 ただ、自分の「好き」の感度を上げて感じていく。 もし、困難があれば自分が思う方法で乗り越えたり解決していく。 それを決めるのは自分自身なのでしょう。 決めるということは
なぜ服を着るのか 他の生物と比べて体毛も薄く皮下脂肪も少ない人間は、環境変化や敵から身を守るために何かで皮膚を守る必要があります。 縄文時代では他の動物の毛皮を加工して身にまとったりしていただけだけれど、定住して生活に余裕が出てくると暮らしに「遊び」が生まれどんどん進化をしていきました。 それは自分自身を表現する「個性」となり、やがて加工技術も向上して今のような個性豊かでオシャレな服装に至っています。 服を選び身につけることは本来は身を守るための行為だったけれ
人とのかかわり◆自分らしさ いつの時代も「性格診断」や「血液型占い」など、「本当の自分」とは、「自分らしさ」とはを知りたい人が多いように思います。 といいつつ、私もその一人で、占いも性格診断も大好きです! そして、書いてあることが少しでも自分に当てはまっていると、まるで自分のことを書かれているように感じて他の部分も知らない自分の一面を発見できたように感じて嬉しくなります。 「自分にはまだこんな可能性があるのか!」そう思うことができます。 「自分らしく生きたい」と思うとき、
「生きる目的」「夢」は必要? 生きていくために「目的」や「夢」は本当に必要なのでしょうか? 私は「夢なんてないよ」「そんなの考えられない」そういう悲鳴のような声を、特に受験という現場で聞くたびに何と答えればよいのか悩んできました。 正直、ただ”生きる”だけなら必要ないでしょう。 そして達成できなかった心の傷の大きさを考えれば、そのリスクを冒してまで生きたくないという気持ちもわかります。 けれど、皮肉なことに人間は変化がないと精神を病んでしまうことが分かっています。 有名
「衣食住」と自己決定 後で詳しくそれぞれについて詳しく書くけれど、人が「豊かに」生きるために必要な最小の要素は「衣食住」だと思います。 別に「高価(高級)なものを選べ!」というわけではなく、自分のお気に入りのもの(好きなもの)を選んだほうが良いのではないでしょうか。それはこの3要素は、もっとも生きることに近いところにあるのでは?と思っているからです。 衣服は、体毛が少ない人間には身を守るのに必須のものです。 それだけではなく、直接肌に触れるので素材によって着心地が異なる