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1章 「幸せに生きる」とはなんだろう(3)

人とのかかわり

◆自分らしさ

いつの時代も「性格診断」や「血液型占い」など、「本当の自分」とは、「自分らしさ」とはを知りたい人が多いように思います。
といいつつ、私もその一人で、占いも性格診断も大好きです!
そして、書いてあることが少しでも自分に当てはまっていると、まるで自分のことを書かれているように感じて他の部分も知らない自分の一面を発見できたように感じて嬉しくなります。
「自分にはまだこんな可能性があるのか!」そう思うことができます。

「自分らしく生きたい」と思うとき、当たり前だけれど自分らしさは一人では創れず他者評価を自分自身が受け取ってつくられていきます。
どんなに孤独を愛するといっても、それは自分の外の人と比較しての「孤独」になるから(本当の孤独だったら、孤独とは感じないのではと思う)、人とのかかわりの中でしか「自分らしさ」はつくられないと思います。

けれど皮肉なことに、「自分らしさ」は無数の他者評価の中から自分の「ものさし」で選んでつくっていくものだから、結局「自分軸」がないと「自分らしさ」はつくることができないのです。
だから、自分自身を知ることが大切になるのです。

とても難しいような気もしますが実はとても単純で、ものごとを「好き」「嫌い」で判別していけばよいのです。
しかし、年齢や経験が積みあがるとそれがフィルターになり(このフィルターは危機を回避するために必要なものだから、それが悪いものというわけではないです)、自分の「ものさし」がズレてしまう。基準になる「ものさし」がズレてしまえば「本当の自分らしさ」から離れるので、満足度が低くなりやがて不満になります。
不満の状態ではストレス反応などによって歪んだりフィルターがかかったりして、「幸せに生きる」選択肢を選ぶことは難しくなるので、「自分らしさ」を見つけるための旅に出たいとまで思う人もいるでしょう。まるでメーテルリンクの「青い鳥」のようなお話ですが、それは物語の中の絵空事ではなく本質に近いのではないかと思っています。

自分の心と対話をしながら、他者評価で「じぶんらしさ」を明確にしていく。これはコーチングの本質でもあると思っています。だからこそ、私はコーチングは「幸せに生きる」ために有効なアプローチのひとつだと考えているのです。
出来上がった「ものさし」は、たくさんのコミュニティの中で生涯磨かれていきます。最後にできたものが「大好き!」と自分自身で言えるものになっていれば、それこそが「幸せに生きた」と言えるのかもしれません。

◆コミュニティ

社会集団の始まりは「親子(家族)」であり、「親子(家族)」は生まれて初めて接する自分以外の人たちで、この小さなつながりの中で人は人のつながりを学びます。

例えば、甘えること。
赤ちゃんは自分で食べ物を調達することはできません。ひとりで寝返りを打つこともできないですし、おむつを替えることもできません。話して伝えることもできないので、全力で相手に伝えます。そして、伝われば希望を叶えてくれると本能でわかっています。
でも、まれにその訴えが伝わっても叶えられないことがあります。
それを赤ちゃんが理解した時、伝えることを諦めることがあります。赤ちゃんであっても、その環境に適応するのです。
その体験も含めて、それが初めての「自分らしさ」になります。

やがて歩けるようになり、外に出るようになると家族以外の人と交流するようになります。特に、幼稚園や保育園などに通うようになった場合、同じような年齢の他者とコミュニティをつくります。家族の中では自分より年齢が大きい人に要望を伝えて叶えてもらう立場だったのに、同じ年齢だとそれが通用しなくなります。だから、それぞれ他の人と比べて自分の方が得意なことを見つけて、役割をみつけます。そして、それが「自分らしさ」になっていきます。

小学校や中学校、高校、大学、社会人と年齢を重ねるにつれて、様々なコミュニティの他の人と交流する機会が多くなり、より多くの他の人と自分を比較をします。比較する回数が増えることでより磨かれた「自分らしさ」をみつけていきます。そのなかで、同じような他者と共感して新しくコミュニティをつくり、その中でまた他者と比較し「自分らしさ」をつくりあげていきます。
注意しなければならないことは、今まで得意だったと思っていたことがより得意な人が多いコミュニティに入るとそれが劣等感になり、強すぎるストレスになると他の人や自分自身を攻撃することでそのストレスを解消しようとすることがあることです。
特にストレスコントロールが苦手な人は、注意深くケアしたりサポートが必要です。また、早期に対応することがとても大切だと思います。

現状、最も大きいと思われるコミュニティは国や地域です。
現代では多くの人がどの国や地域で生まれたかによって、その土地の文化や言語、風習などのルールに従って暮らしています。
あまりにも当たり前にあるので違いを意識する機会が少ないかもしれませんが、他の国や地域人と交流するとき、一番大きく感じる違和感の原因はこの差であることが多いです。
まず、言語が違えば言葉は通じないですし、土地や気候や国が違えば食べ物も風習も違います。
余りにも違いが大きすぎて、強いストレスを覚えることもあります。
前にも述べた通り、強いストレスは相手を攻撃することもあります。国や地域同士となれば、それは「戦争」「紛争」ということになるのでしょう。

余談ですが、国や地域が「現状もっとも大きいと思われるコミュニティ」と述べたのは、本来は国や地域より大きなコミュニティとして、他の生物と比較して種族としての「人類(人間)」があると思っているからです。
ただ、地球上で人類が一番大きいコミュニティを形成しているので、人類が他の生物の文化などを比較して考えるということが「今」はないと思っているのでそう書きました。
けれど、今後何千年、何万年先の未来で(もしかしたらもっと近い未来かもしれないけれど)、人類と比較できるコミュニティが出てきたときは、その中で人類の共通項とその比較できるコミュニティの差で「人類らしさ」ができるのかもしれないと思っています。
まあ、これはまだ起きていない空想のお話ですが(笑)
(エッセイなので、お付き合いください(*^^*))

いずれにせよ、「自分らしさ」は「個」で形成されるのではなく、「他」と比較するの中でつくられていく相対的なものでもあるということを知っておくことは、自分を理解するためにも大切なことなのだろうと考える。
人は、やっぱり「繫がり」の中で生きているのだと思います。



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