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【19】そろそろボノボの出番 ヒトの配偶形態 ③

ヒトとチンパンジーを比較することの意味

 この連載では、ヒトの性的な在り方の起源を考えるにあたり、何度もチンパンジーとの比較を行ってきた。ここでいったん立ち止まりヒトとチンパンジーを比べることの意味について述べておきたい。

 何回も触れているとおり、チンパンジーはヒトに最も近縁な動物である。しかし、それは彼らが「ヒトの一段階前の生き物」だとか「ヒトになりそこなった生き物」であることを意味しない。人類とチンパンジーが共通祖先(仮に「X(エックス)」と呼ぶことにしよう)から分岐して以降、600~700万年の時間がたっている。その間、人類は独自の進化をとげてきたわけだが、同時にチンパンジーの方だって彼らの住む環境に合わせて数百万年分の進化を経ているのだ。彼らを単純に、Xと全く同じ姿・生態をとどめたままの「生きた化石」と見なすことはできない。
 
 とはいえ、おそらくチンパンジーはXが持っていたであろう特徴を100%ではないにしろかなり引き継いでいるのではないかと思う。
 今から1500万年前頃、地球の気候は現代より温暖・湿潤でアフリカの中北部は広大な熱帯雨林に覆われていたらしい。共通祖先Xも含めた類人猿の祖先はそこで進化をとげた〈1〉。 しかし、900万年前頃からアフリカ大陸は徐々に乾燥化していき、熱帯雨林はアフリカ西部と中央部にまで縮小、東アフリカと南アフリカは疎林と草原が混じるサバンナに近づいていった〈2〉〈3〉。

 非常に大雑把に言えば、この過程でXのうち引き続き熱帯雨林の中で進化を続けたグループがチンパンジーの祖先、乾燥化した地域に適応していったグループがヒトの祖先、ということになる。ヒトと比べれば、チンパンジーの生息環境はかつてXが暮らしていた環境にかなり近いはずであり、Xが持っていたであろう特徴をヒトより強く残している可能性は高いと思う。霊長類学の研究者たちはそう言い切ることに慎重であるものの、初期人類の特徴をチンパンジーから類推して考えることには概ね肯定的であるようだ〈4〉。
 
 ところで、ヒトの近縁種といった場合、忘れてならないのはボノボの存在である。ボノボはチンパンジーと同じくアフリカ中央部のコンボ盆地に住む類人猿で、その生息域はコンゴ川によってチンパンジーと完全に隔てられている。川の右岸に住むのがチンパンジー、左岸に住むのがボノボで、かつて同じ地域に住んでいた類人猿が100万年ほど前に何らかの理由で川の左右に別れ、以降それぞれ独自に進化したようだ〈5〉〈6〉(第7回の図も参照)。

 ボノボもチンパンジーと同じ程度にヒトと近縁な種であり、ヒトの独自性について考えるなら本当はボノボとの比較も行わなくてはならない。チンパンジーの方がよく研究されていて情報が豊富なこともあり、これまでチンパンジーばかりをとりあげてきたが、今回と次回ではボノボにも登場してもらうことにしよう。

乱婚型であることのメリット

 前回と前々回で見てきたとおり、ヒトはどうやら一夫一妻を基本とする方向に進化したらしい。もっとも、生物学的にはやや乱婚寄りであり、婚姻制度においては一夫多妻的な面もあって「乱れがち、かつ多妻より」という不安定さを抱えてはいるのだが。

 人類がいつごろから今のような配偶形態をとるようになったのか、はっきりとはわかっていない。また、人類の祖先がチンパンジーやボノボのような乱婚型だったのか、ゴリラのような一夫多妻型だったのかも研究者によって見解が異なる。私自身は

最初は乱婚型だったのが、次第に一夫一妻になった
最初は一夫多妻だったのが、乱婚型を経て次第に一夫一妻になった

のいずれかではないかと思っている(第15回と第16回の終盤はそれを前提にした記述になっている)。第17回で見たようにヒトは生物学的には一夫多妻型のゴリラより乱婚型のチンパンジーに近いので
乱婚型 → 一夫多妻 → 一夫一妻
という順序で進化したとは考えにくい。

 前回の記事で私は、メスにとっては同時期に複数のオスと固定的な配偶関係を持つことに繁殖上のメリットがない、と書いた。しかし実は、同時期に複数のオスと(固定的ではなく)一時的な配偶関係をもつこと、つまり乱婚的に振る舞うことには一つ大きなメリットがある。

 父性を混乱させることでオスによる子殺しを抑制できるのだ。これまでも述べてきたように動物界では特に一夫多妻の種でオスによる子殺しが多く観察される。こうした種では、新たにハーレムの主になったオスにとって、そこに前からいる子供たちは間違いなく他人の子供である。自分の遺伝子を引き継いでいないことがわかりきっているため躊躇なく殺せてしまう。
 メスが同時期に複数のオスと交尾する種ではこれを避けることができるのだ。オスは集団の中で誰が自分の子供で誰がそうでないのか判別できず、乳児を殺してメスに排卵を再開させる、という行動がとりづらくなる〈7〉。

 実際、チンパンジーでは同じ集団内での子殺しはあまり起こらない〈8〉。 しかし、ゼロというわけではなく

1 集団に新しく移籍してきたばかりのメスの連れ子
2 集団に新しく移籍してきたばかりの(移籍前から妊娠していた)メスが産んだ子
3 隣の集団との境界付近にいることが多いメスが連れている子

などが殺される例は報告されている。 オスにとって、1と2の場合は確実に自分の子供ではないし、3の場合でも隣の集団のオスとの子供である可能性が高いからである〈9〉。 まったく動物というのはどこまでも合理的に行動するものである、、。

 ヒトの場合は特定の男女が固定的な配偶関係を持つので、チンパンジーやボノボとは逆に、むしろ父子関係を明確にする方向に進化したことになる。どうしてこのような形態に至ったのだろうか。ここからはチンパンジー、ボノボと比較することでヒトの一夫一妻制の起源について考えてみたい。

チンパンジーとボノボ、似てるけど違う

 前述のとおりチンパンジーとボノボが互いに分岐したのはわずか100万年ほど前のことであり両者には共通点が多い。

 まず見た目が似ている。ボノボが正式に新種と認定されたのは1929年で比較的最近のことなのだが、これは外見があまりにチンパンジーと似ているために長らく別種だと気づかれなかったからだ。
 ただ、私のような一般人でも写真をたくさん見てるうちになんとなく見分けがつくようにはなる。チンパンジーは首が太く全体的にがっしりしているのに対し、ボノボは細身で手足が長い。あと、ボノボでは髪の毛が真ん中分けになっている個体が多い。

基本的な生態もよく似ている。

複数のオスと複数のメスで構成された数十頭の集団で暮らす
極端に乱婚的な配偶形態をもつ
子育てをするのはメスだけ
オスは一生を同じ集団で過ごし、メスは性成熟に達すると別の集団に移籍するという、父系社会を作る(霊長類のほとんどはメスが一生を同じ集団で過ごす母系社会を作るので、これは珍しい生態)

これらは両者に共通した特徴だ。しかし、大きく違う面もある。

チンパンジーではオス同士の序列争いが熾烈だが、ボノボのオスは順位にあまり執着しない
チンパンジーではオスがメスより圧倒的に優位だが、ボノボではオスとメスが対等か、むしろメスが優位な場面も多い
チンパンジーでは集団内の争いが殺しに発展することがあるが、ボノボでは殺しがほぼ発生しない
チンパンジーは集団間の関係が非常に敵対的で、一方の集団が他方の集団のオスを皆殺しにすることもあるが、ボノボは他集団とも融和的に関わることが多い
チンパンジーでは時々子殺しが発生するが、ボノボでは今のところ子殺しは確認されていない
チンパンジーは集団で狩りをすることが度々あるが、ボノボはめったに狩りをしない(たまに狩りをするが、あまり上手ではない)。

 総じて、チンパンジー社会が競争的で攻撃的なのに対し、ボノボ社会は穏やかで平和的なのだ。

※ 節全体〈10〉

仰天するほど自由、ボノボの性行動

 ボノボの際立った特徴はその性的な奔放さである。いやチンパンジーも十分奔放なのだが、ボノボ社会では性行為が生殖活動の域をはるかに超えて、日々のコミュニケーションツールと化しているのだ。

 ボノボがテレビの動物ドキュメンタリー番組でめったにとりあげられないのは、これが理由なのではないかとすら思える。どぎつい性的な接触の連続に、家族で見ると気まずくなること必至である。そういう場面をカットして放送することも可能だろうが、この自由すぎる性行動はボノボ社会の根幹をなすものなので、一切触れないとそれはそれでドキュメンタリーとして不誠実なものになってしまうだろう。

 まず「異性同士の性器の接触」という意味での性行為だけでもその回数はチンパンジーよりはるかに多く、しかも、大人のメスと子供のオス、大人のオスと子供のメス、子供のオスと子供のメス、といった全く妊娠の可能性がない組み合わせで(つまりレクリエーションとして)行われることも多い。
 大人のメスが、男の子が勃起したペニスを挿入してくるのを当たり前のことのように許容する、大人のオスが女の子を抱きかかえて性器の上でゆする、子供同士が母親の背中の上で交尾のまねごとをする、などほとんどあやしたり遊んだりする感覚でバラエティ豊かな性行為が行われるのだ。

 また、チンパンジーの交尾はオスがメスの背後からペニスを挿入する(人間でいう後背位)が普通なのに対し、ボノボはお互いの顔を見合わせる正常位での交尾を好み、相手との感情的な交流も楽しんでいるように見える。
 
 同性同士が性器をこすり合わせる奇妙な儀式も日常的に行われている。メスのそれは「ホカホカ」と呼ばれ(ちゃんとした専門用語らしい)、一方のメスが四つん這いになり、その下に向かい合うようにもう一方のメスがぶら下がって性器をプルプルと左右に振りながらこすりあわせる。これを長い時には10秒以上も続けるという。

 オスはオスで、2頭が反対を向いて四つん這いになり互いに睾丸をぶつけ合う「尻つけ」という儀式や、逆に向かい合って勃起したペニスをぶつけ合う「チャンバラ」(そのまんまだが、これも専門用語らしい… )と呼ばれる儀式を行う。
 これらは緊張や興奮状態を解消したり、2頭の間にトラブルが起きて険悪になったときにそれを収めたりする、一種の挨拶みたいなものらしい(人間でいうハグに近い)。

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【追記(2024年4月)】
霊長類学者の徳山奈帆子氏によると、一部の書籍で「チャンバラ」として紹介されているような行動は、野生の大人のオス同士ではほぼ観察された例がなく、子供のオス同士の遊びでたまに見かける程度のものだそうだ〈13〉。
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 チンパンジーでは互いの優劣関係を確認する様々な儀礼が発達しており、対立が激化した後はどちらかが負けを認める挨拶をして決着がつくことが多い。対して、ボノボがケンカした場合は上のような性的な接触を交わすことで特に優劣を確定させずに和解する。
 というか、ケンカになりそうなムードが高まってきた時点でサクっと尻つけをしてなごんだりと、なるべく激しい対立に発展するのを避けているようだ。とにかく、だいたいのトラブルが性行為であっさり解決するのである。

 このようにボノボは性を異様にカジュアルに用いることでチンパンジーよりはるかに融和的な社会を作っているのだが、これが可能なのはそもそもオス同士の競合がチンパンジーほどには激しくないからである。そして、このオス間の対立の緩和は「メスが妊娠の可能性がない時期にも発情する」というボノボ特有の生態によってもたらされているという。

※ 節全体〈11〉〈12〉
〔次回に続く〕



〈1〉古市剛史『あなたはボノボ、それともチンパンジー?』朝日新聞出版、2013、p.93
〈2〉前掲『あなたはボノボ、~』p.150-152
〈3〉『人類はなぜ森林のなかで地上生活を始めたのか – ボノボとチンパンジーの生態から探る』academist Journal、2017.8.18
https://academist-cf.com/journal/?p=5562
〈4〉クレイグ・スタンフォード『新しいチンパンジー学 —わたしたちはいま「隣人」をどこまで知っているのか?—』的場和之訳、青土社、2019、p.291-302
〈5〉前掲『あなたはボノボ、~』p.6-12
〈6〉前掲『新しいチンパンジー学』p.284-285
〈7〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.223-224
〈8〉前掲『新しいチンパンジー学』p.140-142
〈9〉京都大学霊長類研究所編著『新しい霊長類学 —人を深く知るための100問100答—』講談社、2009、p.114-115
〈10〉前掲『あなたはボノボ、~』第1章
〈11〉前掲『あなたはボノボ、~』p.115-139
〈12〉フランス・ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル —霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源—』藤井留美訳、早川書房、2005、p.25-29、第3章
〈13〉ペニスフェンシングとは [単語記事] - ニコニコ大百科 (nicovideo.jp)

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