とてもとても自分の外見を気にしていた時期がありました。と、読書感想文。

わたしには人生の一時期、「醜形恐怖症だったのではないか?」と思われるぐらい、異常なまでに自分の外見を気にしていた時期があります。

具体的には28~9歳くらいから、37歳ぐらいの間です。
(現在は39歳ですので、つい2~3年前までこの状況が続いていました)

本格的にそのような状況になったのは、ウィッグをつけてナンパ活動を行い始めた32歳くらいからではないかと思います。
(診断を受けていないので、あくまで推測です)

当時わたしが行っていた行動はというと。

・鏡の前で身だしなみチェックを延々と行い、結果的に家から出ることが出来ずに自分を責めてしまう。
・ウィッグがズレていないかを何度も何度も何度も気にしてしまう。
(1時間に1度はトイレに行くなどしていました)
・そもそも「自分の格好が、年齢に不相応なのではないか?」と言われてもいない、女の子からの評価を空想して、やはり家から出ることが出来ない。
・街に出ても、ずっと自分の格好が周りの女性に笑われていないか、とてもとても気になっていた。
・自宅まで歩いて10分くらいの距離なのに、周りの目を気にしてしまって、タクシーに乗って帰る。

などなど、今考えると、かなり異常だった気がします。

当時、わたしはナンパ活動をかなり本格的に行っていました。

ナンパ講師が行う、1回2万円の有料講習も受けたほどで、数々のナンパ仲間とTwitterでつながり、毎日のように繁華街やクラブに出ていました。そして毎晩3時間、4時間と街を歩き回り、女性を物色し、終電を超えたあたりで帰宅が出来ればまだ早い方で、だいたいは深夜2時~3時に帰宅する・・という生活が続いていました。ただし毎晩、時間を費やして街に出ているにも関わらず、結果は全く出ず・・というより、そもそも声掛けが怖くて出来ない状況が続いていました。

ナンパに出撃(街に出ること)する前は、服装を整えて鏡の前で身だしなみのチェックを行うのですが、ナンパで結果が出ないことに比例して、身だしなみのチェックにかかる時間が増えて行ったような気がしています。

わたしは、20代前半から頭髪が薄くなり、一度は発毛専門クリニックに200万以上のローンを組んだこともあるくらいの気にしいです(本当にクソ)

醜形恐怖を疑うくらいの自分が、具体的にどのような行動を取っていたかということで、ある日のわたしのルーティンを説明すると。

  1. 18時くらいに仕事が終わる。

  2. そのままの自分(の外見)では、ナンパを行う自信がないので、変身するために一度帰宅をする。

  3. 帰宅をしてシャワーを入念に浴びる。特に何度も何度も髪を洗う。

  4. ウィッグを装着して、ズレが無いかを入念に確認(ここだけで10分以上は使っていた気がしました)

  5. 確認したはずだが、余計に気になるので改めて一度ウィッグを脱いで、付け直す→チェック。のような事を3~4回行う。

  6. 結果的に、本日の姿に納得がいかず外出が出来ない・・

  7. 翌日。「今日こそちゃんと準備するぞ!」と意気込むが、以下2~6のループ。

ほかには、あまりにも、自分の外見に自信が持てず、他人の写真を使ってマッチングアプリを行ったこともありました。(これは、ちょっと違うかな・?)

ウィッグをつけていない、日常生活においては周りの目線がそれほどまでに気になることはありませんでした。
いや、気にはなるんだけど、ウィッグをつけている時ほど気にはなりませんでした。
ナンパをする時(ウィッグをつける時)だけ、なぜこのように過剰に反応したのかと言うと、おそらくは「ウィッグをつけてナンパモードに入っている超絶かっこいいはずの自分」と「でも、実際鏡の前に立っているのは(街に出ているのは)、理想とはかけ離れたクソ不細工な自分」。。の乖離に我慢が出来なかったのではないかと思います。

今回、図書館で以下の本を読み、思うところ、思い出すところがあったのでそのうえで記事を書いてみました。

本の中で紹介されている症状に当てはまることが多すぎて、思わず笑ってしまいました。「あ、これ俺じゃん」って。

わたしの場合、醜形恐怖症のような症状に至った根本的な理由はおそらく「いじめなどにより、集団から否定され続けて育ってきた」というのがとても大きいと感じています。
(繰り返しますが、診断を受けたわけではないので、推測に過ぎません)

今だから振り返ることができますが、当時の自分は「頭髪の薄さ」うんぬん以前に、絶望的に自己肯定感が低かったです。地に落ちた状態だったと思います。女性に告白をされても「いや、自分よりもあなたにふさわしい男性がこの世にはたくさんいるので」というような謎の理由で断ったケースが7~8回くらいはありました。
それまで他人から否定されることに慣れすぎて、また肯定される言葉をかけられなさ過ぎて、そこに脱毛というある意味ネガティブ要素が加わったことで、人生オワタと思ったのではないかと思っています。

つい数年前に、参加したコミュニティの中で「ありのままの自分を肯定してもらえる」ということを体験することが出来ました。

この経験がなければ、今も異常なまでに外見にこだわっていたのではないかと思います。
人間は多かれ少なかれ外見にはこだわりますが、「やってもやっても気が済まない」レベルになってしまうと、もはや病気の範疇なのだなと、今になれば思います。それこそ、整形沼の人たちみたいに。

今回、とても良い本を読むことができたなあと思いました。

ありがとうございます。

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