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自尊心が満たされるのは何よりも気持ちいい

プリッとしたお尻、ツンと吊り上がったおっぱい、無邪気な愛嬌、幼いふりをした笑顔、

そのどれもが20代前半を形作る私の全てだった。

男の人の気持ちいいところをくすぐり、愛され、満たされる。

そうやって愛をもらってきた。

自尊心がむくむくと心の中に満たされる。
皆んな自分の虜になる。
そんな自信さえも浮かんでくる。

全部、若さという自意識に支配された思考だった。

世の中の成功者は、馬鹿っぽい、でもあざとい、若い女が好きだった。

おねだりの術を知り、
行きたいところに連れて行ってもらい、
欲しいものを買ってもらい、

自分の収入では到底経験するのことない出来事の数々に、
愚かにも自らの力だと思い上がっていた。

思い上がっていたと、
愚かだったと、知るのは、
20代後半になってからだった。


残っていたのは、虚しさだった。


若さとは引き換えに贅肉を見に纏い、贅沢をさせてもらった分だけ肥えた舌だけが残った。

あんなにも求めてもらった身体は今は何の意味も成さない。

貰い物のブランドを持ち歩くことでしかプライドを保てない。
愚かで、悲しくて、

少し笑える生き物に進化してしまった。


「仲間がいるよ」

ルフィはエースを失ったと時に、
ジンベイに説教され
今あるものの大切さに気づいた。


残念ながら私には、
若さだけで成り立っていた人間関係の残骸と
「あの頃は若かったね」と笑い話にしながらも、
幸せな家庭を手にした友達だけが残った。

満たされない孤独だけが残った。

今あるものはそれだけだった。

中途半端な学歴。
充実感を言い訳にしてしがみついている仕事。

時間を潰すことはできても、根底から満たされることはなかった。


タワマンに住みインスタに優雅な生活をアップしている人。

子どもとの幸せな時間をストーリーにアップしている人。

充実した人間関係の繋がりをアップする人。

広告塔として美しい身体を売りにダイエットをアピールする人。

自慢大会と、それに乗っかる広告にはうんざりしていた。


はずなのに。
羨ましい気持ちが抜けきれない。


大した仕事もしてないくせに、クタクタになって就業時間を迎え、

食べ飽きたダイエットのために食べるサラダチキンという餌を食べ、

そんな夜寝る前に考えるのは、幸せの置き所だった。

欲しいもの、生活のレベル、愛されたい欲求。

人の欲望には際限がない。


ささやかな収入で満足している人もいるのだから、
自分も今あるものだけを大切に、
小さな幸せを噛み締めながら生きれば良い。

そう言い聞かせては、羨む気持ちに蓋をすることができない夜を過ごしている。

今日も寝る前にインスタをチェックする。
そして落ち込む。

朝になれば気持ちが切り替わることを信じて眠りに落ちる。

孤独と羨望を繰り返す。
20代最後の年。


どのように諦めを、つけようか。

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