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いつまでも輝いて

33年前の昨日、日航123便が御巣鷹山に墜落した。524人の乗客のうち、犠牲者520名・生存者4名。単独旅客機としては史上最悪の事故であった。

ドキュメンタリー番組をよく観るわたしは、この事故に関する動画をなんどか見たことがあった。昨日、LINEニュース一覧の中に「日航ジャンボ機事故から33年」の見出しがあり、以前ダウンロードしていた本を思い出す。

「日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ」 青山透子

本書は、この墜落で犠牲となった客室乗務員の後輩にあたる、元JALのCAが描いた作品となる。

この事故にかかわったあらゆる人物が経験した当時の状況や想いが描かれており、様々な角度からの悲しみが、痛いほどに伝わってきた。

著者の青山さんは、犠牲となった客室乗務員の後輩にあたる。本書の冒頭では、著者が新人乗務員だったころの、先輩との厳しくも愛のある訓練の日々が記されていた。客室乗務員として彼女らがいかにプロフェッショナルであったか。ひとりひとりのキャラクターやエピソードが語られるほど、失ったものへの悲しみ、悔しさがよりいっそう浮き彫りになった。

墜落した御巣鷹山上野村の村長はじめ村人たちは、事故直後、警察・自衛隊・遺族をけんめいにサポートした。上野村の村長は、空を知りつくした元軍事パイロット。コックピットで最後まで奮闘した機長らに、感じることが多くあったに違いない。

遺体の検視にあたった医者らは、520名すべての遺体を数十年たった今も把握しているという。2,065体にものぼった遺体は(部分遺体ふくむ)、総勢1,000名を超える医師が約4か月かけて検視した。中には抱き合うように焼かれた新婚夫婦、指紋によってしか特定できないとみられた遺体は、毎日読んでいたという絵本についた指紋と照合した。二歳の女の子だった。

悲しみにくれる暇なく作業にあたったのは、事故現場だけではない。

晴れのひとり立ちの日に、父が123便に搭乗。遺族だが加害者側として空港での対応にあたった新人グランドスタッフ。カウンターではお客に胸倉をつかまれた。「わたしも遺族なんです」と言えたならどれだけ楽だっただろか。

事故直後から遺族のお世話係を担当した職員は、心労から自ら命を絶ったそうだ。もしわたしが職員だったら、ー520名の命が亡くなってしまったことを、その命の分だけ家族がいるということを、家族を目の前にして受け止め、頭を下げつづけられるのだろうか。想像を絶する苦しみ、といっても言葉がたりない。

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この世で輝くはずだった520人の命。そして隣で支え、愛し、ともに生きていくはずだった何千・何万の人々。絶望にあってもプロとしての仕事を全うした職員。

あれから33年がたった今、わたしたちにできるのは、伝えること、風化させないこと。

思い出す。忘れない、忘れない。

星となった520名の命が、いつまでも輝くように。

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