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「つまり何が言いたい?」と思われる文章を書かないために

過去に自分がSlackで投稿した内容を読み返すと、「何が言いたいのか分かりづらい」文章に出くわすことがある。自分では(無意識のうちには)伝えたいことがあるのに、テキストだけを読むと、読みづらい。もしくは、読み解くのに時間がかかったり、一意に捉えられない文章になったりしている。

この記事では、数日前にやってしまった失敗例を元に、そうならないように意識している今の話を書きたいと思う。

・・・

数日前、ヘルプページのリクエストフォームに、「noteメンバーシップに特典記事を追加したあと、どんなふうに参加者側には見えるのか、スクショ画像があるとイメージしやすいと感じました!」という依頼をした。

やり取りしていたクリエイターから「メンバーシップに記事を追加した後、どんなふうに相手には見えるんですか?」と聞かれたことがきっかけだった。

そこで、追記する担当者が「なるほど、こういう画像を追加すればいいのね」と分かるように、自分のデモ用のアカウントで撮ったスクショを貼っておいた。

緊急度は低かったので、特にリマインドすることなく待っていたところ、「修正し、公開しました!」との連絡をもらった。

見てみたところ、なんと、自分のデモ用のスクショがヘルプページに貼られていた。あくまでデモ用だと思っていたのに…。

そのとき、慌ててこんなふうに返事をしてしまった。

「あ、僕の画像を使ってくださったのですね!ありがとうございます。。」

今振り返ってみると、このテキストだけだと真意が読みづらい。

  • つまり、スクショを差し替えてほしいということ?

  • つまり、該当部分だけではなく記事全体のスクショのほうがよかった?

  • つまり、これで完了でOKということ?

この返答に対して、「記事全体のスクショがよかったですか?」と聞いてもらったので、①自分の画像はデモ用のスクショだったので、ヘルプにそのまま使うと想定していなかったこと ②できればヘルプページ用のデモ画面でのスクショに差し替えていただきたいこと という2点を伝えた。

そもそも、「自分がイメージしているスクショ」と書くのではなく、「※ これはデモ用のスクショなのでヘルプ用に差し替えてください」など、何のための情報なのかを書けばよかったのだ。

・・・

今回のようなふわっとした依頼・返答をしたことによって、相手に考えるコストが生まれてしまい、コミュニケーションロスが生まれてしまった。そういうやり取りを続けると、自分にとっても相手にとっても、どちらにもよくない。

意見があるのに、ニュアンスをぼかして伝えたり、そもそも意見がないのに言うだけ言ったり(それは意見ではなく反応)。そういう無駄なテキストコミュニケーションをやめるために、「自分はつまり何が言いたいのか」を、投稿する前に意識するようになった。

そして、意識してSlackを見ていると、気になるやり取りは「主語があいまいな言葉」が使われていることが多い。

  • こんな感じで〇〇

  • なんとなく〇〇

  • 〇〇かなと思いました

  • 〇〇しそうですね

この短い文章から、相手に何を伝えたいのかいろんな意味に捉えられるのがよくない。リモートワークになり、テキストでやり取りが増える中で「つまり何が言いたいのか分からない」文章は、超もったいない。

今読んでいる、山田ズーニーさんの『伝わる・揺さぶる! 文章を書く』という本に、こんな一節がある。

わかりにくいメールを書く人は、気楽に書くことと、考えずに書くということをはき違えている。メールはこちらが考える手間を省くと、相手にわかりづらく考えさせるものになってしまい、反対にこちらが考える手間をとれば、相手に負担をかけないわかりやすいものになる。さながらシーソーだ。

p.164-165

ズーニーさん曰く、表現をちょっと工夫・意識するだけで、文章は見違えるのだと言う。自分自身、この本を読んでから以下の3つを意識している。

  1. 主語をはっきりさせて書く

  2. そして主語はできるだけ人間にする

  3. あいまいな受け身文を書かないようにする

例 : 
頭の中整理されてなくて、ちょっとわかりにくい内容になるかもしれないんですけど。
→ (私が)頭を整理してないので、(私は)これからわかりにくいメールを書きます。(だったら、私が頭を整理してから書けばよいのだとわかる)


相手に負担を掛けすぎないよう、自分の意見を考えた文章を書きたいと常々思う。この地道な積み重ねと意識が、仕事の生産性を上げるのだと信じて。

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