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完璧主義をいかになくしていくか

最近、Discordというゲーマー向けのチャットツールを使って、考えがまとまる前のメモみたいなものをどんどん書き出すようにしています。物は試しと思って1月頭からはじめてみたら、思いのほか数が貯まってきたので、これから毎週、その一部を公開してみようと思います。

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ハイキュー!!』を見てて思った。一人が天才で圧倒的に強かったとしても、それだけではチームは勝つことはできない。勝つには、みんなで勝つこと。一人で責任を負いすぎる必要もない。だから、みんなを信頼する必要があるし、みんなのほうを向かなきゃいけない。ラグビー然り、チームとして強くしていく重要性をものすごく感じている。
このサイト、ネックウォーマーの商品説明なんだったら、なんで着用イメージがないんだろう? 実際どんぐらいの長さなのか商品写真だけだとイメージができないから、着用写真はなるべくあったほうがいいなと気づいた。
https://www.re-standard-store.net/items/15423764
この記事を読んで思ったけど、企業が思っている「こうやってほしいこと」と、ユーザーがやりたい「こうやりたいこと」ってほとんどが合致しないのだなと思った。こういうのを見ていると、「勝手にわかってくれるだろう」という甘い期待を捨てて、うまくいった事例は積み重ねて紹介していく重要性を感じる。
https://note.daysoffice.com/n/n038b0758e608
隙のないコンテンツは意見を言いづらいので拡散されづらい(メディアがデジタル化で苦しむひとつの理由)なのではないかという仮説は、そうかもしれないなと思った。完璧主義をいかになくしていくか。自分もnoteを書くときはそうやってしまうくせがあるので、気をつけるようにしないと。だから企業のコンテンツよりも個人のコンテンツのほうがスピードが速く面白くなるのかもしれないなと思った。企業はやはり、信頼が大事だから。
https://twitter.com/MuraiGen1988/status/1222307511056756736
次から次へと仕事がやってくる(ルーティン含め)ときに、自分はどういう態度で臨めばいいのかわからず、すぐに優先順位がつけられずいつも後回しになってしまうの本当に良くない(タイミングが一歩遅いから全体的に進みが遅くなってしまう)。渋滞になる理由に似てる。一番前にいた車がちょっとブレーキを踏んだのを見て、その後ろの車がブレーキを踏んで、さらにそれが続いていって渋滞になるというような。「少しだけ(5分とか)やっておく」というのが最適解な気がするので、明日からやってみる。
石倉さんのマルチタスクに関する考え方、改めて読んで、すごく参考になった。自分のタイミングで決められない案件が増えれば増えるほどタスクは積み上がっていくので、「すぐやる、すぐ返す」という姿勢は自分も持っていないとなと思った。

> マルチタスクの基本は「すぐやる、すぐ返す」です。メールが5通、Slackが3通、メッセンジャーに2通きてる、どれから返そうか、、まず優先順位をつけるために全部読んでそこから考えよう、みたいな人は今すぐやめましょう。片っ端から処理していくのがポイントです。
> 「5分考えてわからないことは聞く」「その間、相手にはいつまでに返すね、という返事だけしておく」の2つ。
https://note.com/hideakiishikura/n/nf1ff75844385
ディベートについて書かれていた記事の一節にあった「言葉に鈍感」につよく引きつけられた。確かに今の自分は言葉を軽く使ってしまっているなと薄々気づいていた。気をつけないと。
https://note.com/airkei8371/n/n6c270428cf48
自分は本を読むスピードが遅いわけではないのに、読み終わるのが遅いのは何でだろうと思っていたけど、その理由は「終わって欲しくない(続きを知りたくない)、続きを読むならきちんと読みたい」という一種の完璧主義からだということに気づいた。それよりも、少しずつでも読んで、毎回少しずつメモをとったほうがいい。
長谷川リョーさんがおすすめしていた『急に具合が悪くなる』という本を今読んでいる。3便で、宮野さんが良い患者になるために、合理的に考えて専門職セクターになろうとするシーンがある。他人に迷惑を掛けないように、統計データや論文を読むようになったのに、どんどん孤独になっていく。それに対して友人が「主治医とちゃんと話しなよ」というシーンに自分を重ね合わせた。誰にも頼らずに自分を強くしようとすると、どんどん周りが信頼できなくなってしまう。それは端から見たら「良い患者」かもしれないけど、それは最適なのだろうか。それよりも専門職セクターにいるのであればその人と話して適切に対処してもらうよう聞くほうがいいのではないかということが自分の言葉で書かれていて、本当に良いなと思った。

> 私は「良い患者」として、可能性を理解し、リスクにうなずくだけで、医師に「私」のことを問いかけたことがなかったことを。何か質問するとしても、いつも専門職セクターに近づくためのお勉強やデータ集めでしかなかったことを。彼に対して一度も今の私の状態をふまえて「一緒に考えてみてくれないか」と言ったことがなかったことを。(P70)
急に具合が悪くなる』を読んでいる。病気の人に対して、「お大事に」という言葉が気軽にかけられないから、言葉に遊びがなくなり、言葉が整った遊びのないものに近づく。病気の人・そうじゃない人の役割が硬直化してしまうという説明の仕方はなるほどなと思った。
人口が減っていく、スマホの登場で様々な価値観が出てくることで、ひとつの商品をたくさんつくって売れる時代が終わろうとしている。昔は製品だけ考えていればよかったものが、その外郭も全部考えなきゃいけなくなってきているから大変。人口ボーナス期間が長かったせいで、機能的満足だけを追求している企業が多くなってしまったから、100年以上続く虎屋のような企業から、感情的満足も学ぶことが必要(おもてなしなど)。
https://moonsh.jp/n/n1530ca711632
いきなり打合せに同席させられると、自分の返せる球がパッと出せなくてつらまない時間になってしまうのではないかと焦るので、話すことを準備をしていた。なんで自分は準備をするんだろうとぼーっと考えていたら、準備をすることは相手との時間にちゃんと向き合うことだということに気がついた。
お店に行くと必ずやってしまうのが、「おしぼりのにおいをかぐこと」。外苑前の「2colori」、森下の「Aoneco」はいい匂いだった。この店がおしぼりにまでこだわっているんだなということを通して、いい店だなという最初の判断をしている。
暮しの手帖にあった、「食を人任せにしないことは、命の手綱を自分でしっかり握ることなのです」が心に刺さった。今自分が自炊をする理由は、それが理由なのかもしれない。暮らしを自分の元に引き寄せるという感覚。

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