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こういう本に出逢うため、読書をしているのかもしれない

勧められて読んだ本『急に具合が悪くなる』

哲学者・宮野真生子さんと人類学者・磯野真穂さんの往復書簡で構成される一冊なのですが、その内容、本が出来上がるまでのストーリーとタイミング、二人が紡いでいく魂の交歓に胸が震えっぱなしでした。

こんな本に出会えることは、滅多にないと断言できます。最近は1年に100冊ほど読書をしていますが、肌感覚としておそらく3年に1冊出会えるかどうかの衝撃度。身体が揺さぶられる感覚。(違う質の揺さぶられ方ではありますが、『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』を読んだとき以来かも)

タイトルになっている「急に具合が悪くなる」はメタファーでもなんでもなく、著者の一人、宮野さんが癌に罹患し、身体の状態を崩されていくことに由来しています。

インフルエンザでも交通事故でもなんでもいいのですが、言わずもがな、人は「急に具合が悪くなる」リスクを孕みながら生きています。(今日、NBAの元スーパースター、コービー・ブライアントが墜落事故で亡くなるニュースもありました・・・)

分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです。可能性とは、ルートは分岐しつつ、そのさきがわかった一本道などではなく、つねに、動的に変化していく全体でしかないのではないでしょうか。(同書、30頁)

「生きる」に包含される、いくつもの営為。呼吸する、目撃する、対話する、決定する・・・その全てが無限の分岐を織り成し、次の瞬間、10年後の自分、死の瞬間の自分へ繋がる「ライン」を繋留し続けているのです。

それを分かった上で(もちろん誰も未来を生きていないし、死んだこともないので、分かったフリと言った方が正確かもしれませんが・・・)それぞれの分岐点を交わらせつつ、今日と今日のバトンを渡し合っている。

読書は、一冊で完結するものというよりも、有機的にいくつもの本が照らし合いながら、呼応し合いながら、脳みそと感情を揺さぶってくれるもの。その意味で、先日noteで取り上げた『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』とスパークして、落涙しかけました。

大学を卒業したばかりの著者・小山田咲子さんが、旅行中、アルゼンチンの荒野で交通事故に遭い、客死してしまうこと。コービーが愛娘と共にヘリコプターの墜落事故に遭遇してしまうこと、武漢でコレラウィルスにかかってしまうこと)

『ノルウェイの森』に出てくる、あの一節が頭をよぎる。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

死はいつでも隣り合わせ。もちろん自分だけじゃなく、家族や、友人も。分かっているのであれば、どんな生き方ができるか、接し方ができるか、紡ぎ方ができるか。いま一度立ち止まって考えてみたいです。

「受取勘定をどれほど遠い未来に延ばし得るか」と三木(清)は言います。死に運命付けられ、消滅するだけの点であっても、世界に産み落とされた以上、その受取勘定を、自分を超えた先の未来に託すことができる。
一人の打算ではなく、多くの点たちが降り立つ世界を想像し、遠い未来を思いやること、そのとき、私たちは初めてこの世界に参加し、ラインを引き、生きていくことができるのではないでしょうか。(同書、200頁)

ケニアで無職、ギリギリの生活をしているので、頂いたサポートで本を買わせていただきます。もっとnote書きます。