【小説】幸福 23

『達也、ちょっといいか?』

ツアーの初日、リハーサルが終わった後、トビアスは達也を呼び出した。
達也は取り出したタバコをしまいながらトビアスについていく。
スタッフの専用出入り口を出てすぐのところにベンチがあり、そこに二人が座った。

『君たちの母親が俺のことを嫌ってる。会ってくれない』

そう言いながらトビアスは自分のタバコを取り出し、達也に1本勧めた。
本当に俺の妹は大したやつだ。
あのトビアスを手に入れたんだから。
そのおかげで俺はこうしてトビアスからタバコを吸い合う仲になれたし、義理の兄にもなれそうだ。

『俺たちの母親なんてどーでもいい。お前と香奈が幸せならそれでいいんだ。俺は祝福してる』

リサのおかげで少し上達した英語で達也はトビアスに言った。

『そうか、ありがとう。だけど最近香奈の様子が変だ。きっと俺のせいで母親と仲が悪くなったからじゃないかと思う』

香奈の様子が変なのはいつものことだが、ここ最近はその変さに磨きがかかっているのは達也も感じていた。
それとなく話を聞いてみると、やはりトビアスの仕事のやり方を不安に思っているようだった。
母親のことを不安がっている様子は全くない。

『母親のせいじゃないと思う。言い方が悪いかもしれないけど、お前と香奈は終わりそうな雰囲気がする』

元々達也はオブラートに包んだ話し方が苦手だが、英語だと不得意なのもあってかなり直接的な言い方になる。
トビアスは怒るかと思ったが、案外冷静に、しかも少し笑った。

『俺もそう思う。絶対そうなりたくないのに』

トビアスがため息とともに煙を吐いた。

『どうすれば彼女を掴んでおけるんだ?』

トビアスが冷たい目線で聞いてきた。
そうか。
こいつは香奈を女として掴んでおきたいんだ。
一緒に歩んでいこうっていうタイプじゃない。
香奈は恋愛とか関係なく、一緒に歩んでくれるタイプの人間が好きなのにな。
達也もため息とともに煙を吐く。

『お前の弱みを香奈にさらけ出せ。それができたら香奈はお前と一生一緒にいる』

達也の言った言葉をかみしめながら、トビアスは上の方に少しある空を見上げた。
会場や建物で少ししか見えない空から容赦ない太陽がトビアスと達也を照り付けている。

『俺にそれができると思うか?』

『できないだろうな』

二人は少し笑って残りのタバコを灰皿へ押しつぶした。

『でもこれだけは言える。俺の女は香奈で最後だ。俺にとって香奈は人生で一番大事な人なんだ。だからあんなにつらそうな香奈を見たくない。俺じゃ幸せにできないのかもしれないな』

トビアスは言いたいことだけ言って、その場を去っていった。
香奈は俺の夢をたくさん叶えてくれた。
音楽で食っていけるようにしてくれたし、トビアスと仕事ができたし、世界中の女を食わせてくれたし、世界で一番良い女と出会わせてくれた。
だけどトビアスの義理の兄になるっていう密かな俺の夢は、胸にしまっておこう。
俺が言ってしまうと、香奈は無理してトビアスと夫婦になるだろう。
そうはさせたくない。

「自分の幸せ、そろそろ考えろよ」

達也は遠くを見ながら言った。
今頃、香奈はベースを弾きまくっている。
ツアーの前は寝るとき以外、ベースを離さないから。

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