【小説】幸福 28

「リサが妊娠した」

アメリカのツアーが終わり、日本に帰る飛行機の中で突然、達也が香奈とウィリアムに言った。
香奈とウィリアムはそれぞれ寝る準備をしていたが、手を止めて達也を見る。

「それって、兄ちゃんの子供?」

「当たり前やろ!リサが浮気するわけない!」

「そりゃそうだよね。リサさんはまじめだから。え?ってことは兄ちゃんの子供ができたってこと?」

「だからそう言いよるやろ」

「うぉー!おめでとう!やったー!」

静かな機内で香奈は大声で喜んだ。
香奈はウィリアムを見たが、ウィリアムは腕を組んで眉間に皺をよせている。

「なんで喜ばないの?うれしくないの?」

「どうするんだよ。これから」

ウィリアムが達也に聞いた。
どうする?これから?
何のことだ?
今まで通りだろ?

「俺はエイントを抜けたい」

香奈は息が止まった。
嘘だろ?
今まで三人で頑張ってきたじゃないか。
ケラングも受賞できたし、海外ツアーもさせてもらえたし、私たちはこれからじゃないか。
なのに達也が抜けるってどういうことなんだ?

「俺らの父さんは家にいなかっただろ?俺はそういう父親になりたくない。だからしばらくの間、子育てしたいんだ。あと、リサの体調があんまりよくない。今、妊娠4か月だけど、3日前に出血したんだ。早く生まれてしまうかもしれないから、リサは今、入院して動かないように言われてる」

つらつらしゃべる達也の言葉は、香奈の頭に入りきらなかった。
とりあえずリサが今、大変だということと、達也はバンドを抜けたいってことだ。

「じゃあなんで妊娠させた?俺たちのバンドはこっからだろ?大事な時に子供作ってどうするんだよ。お前が抜けるなんて絶対許さない。子供が不幸になる?知ったことか!お前が勝手に子供作ったんだろうが!」

今度はウィリアムが静かな機内で大声で怒鳴った。

「すまない。本当にすまない。本当に、本当にすまない」

達也がウィリアムと香奈に頭を下げて謝り続けている。
この状況はおかしい。
私は達也を笑顔にしたかった。
達也の夢をかなえてやりたかった。
なのに今、達也が悲しんでいる。
なんかすごく申し訳なさそうにしている。

「謝ってすむかよ!俺だって家族と会えてないんだ。家族と会いたくて日本に連れてきたけどこのざまだ。リサだって同業者なんだからお前が家にいないことぐらいわかってるだろ」

ウィリアムも無理してたんだ。
そりゃそうだよ。
オーストラリアから日本に家族を連れてきたって、私たちがアメリカと日本を行き来する生活をしているから、家族と会う時間は少ない。

「わかった。私達、解散しよう」

香奈の言葉に達也とウィリアムが静まり返った。

「何言ってんだよ。解散なんてする必要ない。そうだな、達也が子供が生まれるまで活動休止しよう。それでどうだ?」

「あぁ、そうしよう。今みたいにギチギチじゃなくて、無理なくできるペースに落とそう。だから解散なんてしなくていい」

達也とウィリアムは香奈を説得していたが、香奈は首を横に振った。

「兄ちゃん、どのバンドやったか忘れたけど、活動休止して、全然復活しないバンドがあったよね?それでさ、私ら怒っとったの覚えとる?復活せんのなら休止じゃなくて解散にしてくれって話したよね」

達也は深いため息をつきながらうなずいた。

「あぁ、覚えとるよ。期待させんといてくれって言った」

「だけど俺たちは違う。絶対復活する。だから休止でいい。なんなら期限を決めよう」

必死に香奈を説得しようとするウィリアムに、香奈は言った。

「ウィリアムももっと家族と過ごした方がいい。せっかく日本に来てくれたんやから、ケンくんと、ソフィアさんと、三人でいたほうがいい。私らはそれをしてもらいたかったから」

ウィリアムはぐうの音も出ない。

「お前はそれでいいんか?」

達也が香奈を覗き込みながら聞いてきた。

「お前はいつも人のことばっかり気にしとる。お前が続けたかったら続けたらええ。俺以外にもええギターリストは山ほどおる。サポート入れて続けたらええ。どうなんや?」

私はどうしたいんだ?
私は解散でいいのか?

「私は、疲れた。もう次に打つ手がない。次を打つ気力もない。だから休みたい」

香奈の言葉に男二人はうなだれた。
そして帰国中の機内でエイントの解散は決まった。

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