【小説】猫と詐欺師 第一話

出会い


彼女は出て行った。

付き合って1ヶ月、初めて僕の部屋に泊まってくれた翌日の朝だ。
僕は朝日で目を覚ますと、隣にいた彼女がいなくなっていることに気がついた。
彼女の代わりに最近住み着いた猫がいびきをかいて寝ていた。
僕は猫を起こさないようにそっとベッドを出て、彼女を探した。
探すと言っても狭い1Kのマンションだから、トイレと風呂を確認して終わる。
電話してもつながらず、おそらく着拒されている。
ふと見ると、昨日の夜、一緒に食べたパスタの皿やワインを飲んだグラスがまだシンクにある。
カッコつけてパスタやワインを用意したのがよくなかったのか?
そういえば、彼女はパスタもあまり食べなかったし、ワインもあまり飲まなかった。
口に合わなかったのだろうか?
もっと高いワインを買えばよかった。
いや、そもそもカッコつけずにカツ丼とビールにすればよかった。
僕は後悔しながら洗面台の前に立ち、歯ブラシを口に突っ込んだ。
でも彼女は昨日笑っていた。
一緒にお笑い番組を見て笑ったし、彼女は猫を気に入って、ずっと膝の上に乗せていた。
猫も彼女を気に入ったようで、僕にはしない甘ったるい声で鳴いていた。
何がいけなかったんだろう?
次の作戦を練らなければと思うと同時に、彼女はもう二度と僕の前に現れないような気がしていた。
歯磨きを終えた後、肩を落としながら廊下に出ると、いつのまにか猫が玄関に移動していて、腹をつけてベタっと寝そべっていた。
昨日から8月の最高気温を更新し続けているから、朝から冷房を強くしても効きが悪い。
だからって玄関で寝るほど暑いか?
「まだ朝7時だぞ」
僕は猫に声をかけたが、猫は無反応のままだ。
残ったのはお前だけか。
どっちかっつーと、お前より彼女に残って欲しかったよ。
「ご愁傷様」
そう言うように猫は僕に一瞥をくれて、また目を閉じた。


この黒と白のマダラ模様の猫は、彼女と出会う1ヶ月前、近所のコンビニから僕について来た。
僕は帰路の間、何度も振り返ったが、猫は僕と一定の距離を保ちながらついてきていた。
いつも動物から好かれない僕は嬉しくなり、もしかして家までついてくるかもしれないと期待して、エレベーターを使わずに四階の部屋まで階段を使って帰った。
玄関ドアの前まで来た時、振り返ったが猫は見当たらなかった。
やっぱり来ないか。
僕が諦めて玄関ドアを開けた時、猫は遅れて階段からやってきた。
そしていつもそうしているかのように、僕の部屋へ入っていった。
僕は嬉しくなって、すぐキャットフードやトイレ、シャンプーなど一式を買いに行き、爪を立てて嫌がる猫を風呂に入れたり、エサや水、トイレを準備した。
おかげで給料日までカップラーメン生活になってしまったが、僕の生活に張り合いができた。
入社して8年、特にやりがいもない、出世もしない会社で、低賃金のために何時間もサービス残業をする日々。
転職も考えたが、特技もなくやりたいこともない自分にとっては、転職は大きなリスクのように感じていた。
ただ働いて食って寝て、暇つぶしにゲームを少しする。
人生の最期まで時間を消費する意味のない日々。
そこに猫が入ることによって、僕は生きる意味ができた。
猫は僕に擦り寄ってくるわけでもなく、可愛い表情を見せるわけでもない。
出会った時と同じようにずっと一定の距離を保っている感じだ。
そんなお互いを干渉せずに尊重し合う関係が、僕にはちょうどよかった。


猫との生活に慣れ始めた頃、彼女と知り合った。
夜9時前、残業後の空腹に耐えかねて僕は会社の近くのコンビニに寄った。
眠気もあったからコーヒーでも飲もうかと思い、菓子パンとコーヒー専用のカップを購入して、コーヒーマシンに並んだ。
僕の前にはスーツ姿の彼女がコーヒーを淹れていた
僕はスマホを見ながら順番を待っていたが、気づくと彼女はもういなくなっていたから、あわててコーヒーマシンにカップをセットした。
ふと横を見るとミルクや砂糖を入れるところにピンクの長財布が置いてある。
並んだ時にはなかったから、おそらくさっきの彼女の忘れ物だろうと思い、店員に渡そうとしたが、レジが混み始めて渡せない。
追いかけた方が早い。
僕はコーヒーをそのままにして店を出て彼女を探した。
彼女はコンビニを出てすぐ近くをゆっくり歩いていたから、すぐ捕まえることができた。
「これ、ちがいますか?」
僕が長財布を渡すと彼女は驚いてバックの中を確かめた。
「私の財布です。あの、どこにありました?」
「コンビニのコーヒーのところに。よかったです。中身、盗られてないか確認してください」
彼女は長財布を開けて中身を確認している間、僕は彼女をよく観察した。
セミロングのウェーブがかった髪で、色白で、ほっそりして、身長も175センチの僕と同じくらいだったが、目がタレ目でかわいい印象があった。
もっと観察したかったが彼女は財布の確認をすぐやめてしまった。
「大丈夫です。あなたが盗るわけないから。あなたはいい人だから」
彼女はタレ目をさらにタレ目にして笑いながらそう言った。
そして僕は簡単に恋に落ちた。
彼女は改めてお礼がしたいと言い、僕の連絡先を聞いて来た。
いつも女性に好かれない僕は嬉しくなって、すぐ連絡先を教えた。
その場はそこで別れたが、家に帰ってすぐ彼女からメッセージが届き、次に会う約束ができたのだ。

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