【小説】幸福 31

「俺は反対だからな」

ウィリアムは何度も香奈に反対したが、香奈の言う通りにNHKラジオ放送局の前まで連れてきてくれた。

「もうすぐラジオ収録が終わるはずだから、駐車場で待っとこう」

ウィリアムは地下駐車場へ入っていった。
警備員にはもっともらしい事情を話して、香奈本人を見せると、入れてもらえた。

「クスリやるやつは何度もやる。そんなやつと絡まない方がいい。俺は反対だ」

ウィリアムの話を無視して出入り口を注視していると、男性2人組が出てきた。
香奈はすかざず車を降りて二人に近づいた。

「大崎さんですか?」

眼鏡とマスクをしているが、あのときのライブと同じ目だった。
優しそうな目だが、決して笑わない。
思ったより背が高かった。

「あの、どちら様ですか?」

大崎の隣にいた50代くらいの男が割って入った。
きっとマネージャーだろう。
岡村と同年代なんだろうが、マネージャーの方は小太りで白髪混じりで笑い皺が染み付いている普通の50代に見える。

「突然すいません。こちらはエイントの香奈です。私はエイントでドラムしてましたウィリアムです。今は香奈のマネージャーをしてます」

「あぁ!エイント!素顔だからわかんなかった!」

マネージャーはさらに笑顔になってウィリアムと話し始めたが、大崎は表情を変えずにじっと香奈を見ている。
マネージャーとは正反対で、警戒心をむき出しにされているような気がして、香奈は少し苛立っていた。
いきなりでびっくりしたかもしれないが、そこまで警戒するか?
そんなに私のことが嫌いか?

「お話ししたいんですが、いつがご都合がいいですか?」

ウィリアムとマネージャーが話しているのを遮って香奈が大崎に聞くと、大崎は少し驚いた後話し出した。

「今から大丈夫ですよ。都合つきますよね」

大崎は静かにマネージャーに聞いた。

「うん、大丈夫だよ。どこ行く?」

マネージャーは柔和な表情で言う。
ウィリアムが決めたカフェで話ができるようになった。

「僕のことご存知だったんですか?」

大崎は席につきマスクを外しながら静かに話した。
ウィリアムが香奈と大崎を二人きりにしてくれて、仕切りのすぐ隣にはウィリアムと大崎のマネージャーがいる。

「兄が大崎さんのCDを持ってました。でも詳しくなったのは最近なんです。BDBのライブで大崎さんがゲスト出演しているところを見て、血が沸きました」

「血が沸いた?」

大崎が眉間に皺を寄せる。
香奈は洋画のサントラを買ったときの話をして、初めてブラックミュージックに触れた感激を再び味わったことを説明した。
香奈が熱く語るのを大崎は表情一つ変えずにじっと香奈を見ている。
こんなこと言われ慣れているんだろうが、少しは社交辞令で相槌くらいうってもいいのに。
注文していたコーヒーが届いた。
気を取り直して、まずは自分を知ってもらおう。
私のことをちゃんと知ってもらおう。

「自己紹介させてください。私はエイントというバンドのベースをしてました。先日解散をしてしまって今は何もしてません。私達エイントは2枚アルバムを出してます。ガンダムの曲とか、アダムス監督の映画の曲とかさせていただいたことがあって、」

「あの」

大崎が香奈を遮った。

「あなたのことはよく知ってるつもりです。だってケラングを受賞された方ですから」

香奈は少しポカンとした。
知ってるのにあの態度ってことは、やっぱり私の音楽が嫌いなんだな。
香奈は少し頷きながら話し始めた。

「ご存じでしたか。大崎さんが私のことをすごく警戒してるように見えたから、私のことご存じないんだろうなって思ってました」

初見で嫌われるのには慣れている。
香奈は舞踏が好きで、初めてのツアーに舞踏家を連れて行きたかった。
舞踏家にライブのダンサーを依頼しに行った時も何度も断られた。
メタルは派手だから嫌われるし、崇高な舞踏家をメタルバンドのダンサーとして雇うなんて、立場が逆だからだ。
だが何度も家に通い、手紙でお願いして、ようやく承諾してもらえた。
今でも季節の挨拶をハガキで送り合う仲になれたが、そこまでにかなり時間を費やした。
大崎とも相当な時間が必要だろう。
だが、こちらがまっすぐな誠意さえ持っていればいつか伝わる。

「あなたの曲は全て聴いてます。特にfall in loveが好きです。童謡のような曲調をうまくロックにしてるし、恋をする明るい気持ちじゃなく、不安とか怖さとかを表現できてて好きです」

香奈は驚いて固まってしまった
fall in loveはケラングを受賞したSummer daysのカップリング曲で、まったく話題にならなかった。
香奈がトビアスとの恋の不安を思って作った曲だ。

「そこまで知っていただいてて、嬉しいですし、光栄です」

香奈は緊張やら嬉しいやらで、変な汗が吹き出ていた。

「ただ、びっくりしたんです。素顔があまりにも違いすぎて」

今日は普通の女のメイクで、オーバーサイズのグレーのニットに細身の黒のジーンズを着ているから、誰だかわからないだろう。

「誰かわからないですよね。今日もステージと同じメイクでくればよかったなぁ」

香奈が笑いながら話してコーヒーにミルクを入れようとすると大崎が話し始めた。

「いや、今の香奈さんも好きですよ。すごく可愛いです」

香奈は目を見開いた。
長い戦いになることを覚悟していたのに、大崎は社交辞令でも香奈に好印象を持ってくれている。
話が進めやすいから安心すべきなのに、体が固まってしまった。
ステージ上の派手なメイクと、普段の普通の格好のギャップで可愛いと言われることはよくあるから、これも慣れているはずなのに、体が拒否反応を起こすほど心はときめいていた。
香奈はうまく返せないまま、コーヒーにミルクを入れようとした。
だが手が震えてミルクがこぼれそうになる。
左手で右手を押さえながらミルクを持つが、やはり震えは止まらず、ミルクはこぼれてしまった。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫です!すいません」

香奈はあわてて溢れたミルクをふきながら、本題を話すことにした。
私、なにかおかしい。
早く話して早く帰りたかった。

「お時間ないでしょうから手短に話します」

コラボがしたいこと、裁判で公表した詩を使いたいこと、香奈のラジオに出演してほしいことをお願いした。

「コラボもラジオも是非やりたいです。でも詩だけはダメなんです」

大崎は厳しい表情で話した。

「あの詩はすばらしいです。なぜダメなんですか?」

「今、過去から離れて仕事をしてます。それがファンの方のためでもあるんです。ずっと待ってくれてた方に思い出させたくないし、新しいファンの方は知らないままでいいんです。新しい僕を見てもらいたいんで。あの、飲まないんですか?」

大崎に言われて飲まざるを得なくなった香奈は、ミルクはまたこぼしそうだったから諦めて、ブラックのままコーヒーを飲むことにした。
するとむせて咳き込んでしまった。

「大丈夫ですか?どうしたんですか?」

「ブラック、むり、なんです」

「ミルクどれくらい入れますか?」

大崎は香奈のミルクを持っていた。
香奈は手を振って拒否したが大崎は動かない。

「ぜんぶ、おねがい、します」

「砂糖は?」

「ぜんぶ、です」

大崎は砂糖も入れてコーヒーもまぜてくれた。
上手く声の出ない香奈は深々と頭を下げてコーヒーカップを持ったが、手が震えて今度はコーヒーをこぼしてしまった。
ジーンズに少しかかり、熱い感触が徐々につたわってくる
ケラングの授賞式など場数を踏んできてるのに、たった一人に会っただけでこんなに緊張するものなのか。

「やっぱり、きょうは、やめときます」

香奈が拭きながら話しているうちに、大崎は香奈の隣に移動していた。

「はいどうぞ」

大崎はカップを持ち、香奈の口に近づけた。
香奈は驚きながらコーヒーを飲んだ。

「大崎直樹が私にコーヒーを飲ませてくれた」

大崎が飲ませてくれたおかげで、香奈は普通にしゃべれるようになった。

「逆だって。僕があの香奈さんにコーヒーを飲ませてる」

大崎は香奈に初めて笑顔を見せながら、対面の席へ戻った。

「よかった。やっと笑ってくれたましたね」

香奈は安心してカップを手に取ると、震えずに持つことができた。

「ほら、もう震えなくなりました」

香奈が嬉しそうにカップを持った手を見せると、大崎はうつむく。

「トビアスが落ちるわけだよ」

「え?」

香奈が睨みながら聞くと大崎は慌てて否定した。

「なんでもないです!じゃぁコラボいつからやります?」

「日程は、多分、隣でウィリアムが決めてます」

大崎は驚いた表情で仕切りの方を見たが、見えないし声さえ聞こえない。

「だからあなたはアメリカで成功されたんですね。」

「成功してないです。ただ、レイプされたアジア人が珍しかっただけです」

大崎が何か言おうとしたが、香奈は遮ってウィリアムに電話して呼び寄せた。
ウィリアムと大崎のマネージャーが入ってきた。

「コラボはオッケーもらえたよ。いつからになりそう?」

ウィリアムはため息をつきながら複雑な表情をして、席に着くなり日程を説明しはじめた。

「だいたい1ヶ月後だね。じゃぁまたよろしくお願いします。」

香奈はまた深々と頭を下げた。

「この子らすごいわ。やっぱケラングは違うな。直樹ちゃん、高嶺の花すぎるから無理だからね」

大崎のマネージャーは染み付いた笑顔で話した。

「岸さん、ちゃんとわかってますから。」

大崎は気まずそうに話した。
高嶺の花って私のことだろうか?
どこが?
私、雑草だろう。
ウィリアムが咳払いして話し出した。

「とにかく、詳しい話は明日、私から岸さんにさせてもらいますから、よろしくお願いします」

ウィリアムが無理やり打ち切って4人は店を出た。

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