【小説】幸福 35
大崎とのコラボにむけて準備が始まった。
それぞれ1曲ずつ作っていくことにして、両面シングルで発売する予定だ。
香奈は自分の最後の曲になるかもしれないと思うと、どうしてもバラードになるし、どうしてもあの詩が忘れられず、あの詩にあった曲になってしまう。
詩は後回しにして曲だけ作ることにした。
香奈が仕事を久しぶりにするから、ウィリアムも久しぶりに忙しくなり、まずはコラボにむけて大崎の事務所と契約書のやりとりをしていた。
香奈は契約書の最終確認のために会社へ出向いていた。
久しぶりに会社に来た気がする。
「ここの文章、消しといてくれるかな」
難しく書いてあるが、つまり、また大崎が逮捕された場合、曲が使えなくなったら賠償金を求めるという内容の文章だった。
「ここは絶対いる」
ウィリアムは断固拒否した。
二人の間に沈黙が流れる。
「私、このコラボでもう音楽やめようと思ってるんだ」
ウィリアムはうなだれた。
「もし大崎さんがまた逮捕されて、コラボの曲が使えなくなったら、損害は私の印税から取ったらでいいよ」
香奈は笑いながら言った。
「やっぱそうか。辞めるのか」
ウィリアムの青い瞳が香奈を見つめるが、香奈はウィリアムをまっすぐ見ることができなかった。
「今までありがとね。ウィリアムなら誰のマネージャーでもできるよ。これから売れそうな新人のマネージャーやってあげて」
するといきなりウィリアムは立ち上がった。
「俺はお前を辞めさせる気はない。お前はまだまだやれる。勝手にほざいてろ。とりあえず契約書の件は社長に伝えてくるから」
そう言い残してウィリアム部屋を出た。
「直樹ちゃん、ちょっとこれ見て」
レコーディングしている大崎にマイクで岸が話しかけてきた。
岸がレコーディング中に話しかけてくることは滅多にない。
大崎は驚きながらレコーディングルームを出て、岸のノートパソコンを覗き込んだ。
香奈とのコラボに関する契約書があった。
「ここ、賠償金のところ、消されてる」
大崎側は不祥事があったときに賠償金を支払う事をいつも契約書に書いていた。
それで信頼を得ていたし、逆に大崎が不祥事を起こした方が儲かるからそれで食いついてくるクライアントもいた。
「岸さんが消したんですか?」
「俺は消してないよ!かなちゃん側が消したんだよ。ほら、このメール、ウィリアム君から送られてきてるけど、CCに田山社長も入ってるでしょ。つまり、田山さんの了解も取ってるってことだよ」
大崎は困惑して黙ってしまった。
「うちにとったらありがたいけど、何かの間違いだったらいけないから、ウィリアム君に聞いてみる」
岸がウィリアムに電話しようとしたが、大崎がとめた。
「田山さんに俺から聞いてみていいですか?久しぶりに話したいし」
岸の了解をとって、大崎は田山に電話した。
田山は昔、デビュー当時の大崎のマネージャー兼プロデューサーをしていた。
無名の大崎をうまく売り出してくれたおかげで大崎は有名になったが、一切手を緩めないやり方がつらくなり、大崎の方から申し出て離れて行った。
にもかかわらず、大崎が出所後に連絡をくれた数少ない一人だった。
「直樹ちゃん?どした?うちにうつる気になった?」
田山はいつも明るい。
「こんなリスクの大きいやつ、抱えたくないでしょ」
「今はリスク少ないよ!いつでもおいで!岸さんには申し訳ないけど」
田山は大崎と離れた後、さまざまなアーティストを新人からプロデュースして成功させてきた。
その結果、田山は社長にまで上り詰めている。
「で、聞きたいことは、うちの香奈との契約書のことでしょ?」
田山はうるさい雑音に紛れないように大きな声で話した。
「賠償金のところがなくなってるんですけど」
「あれね、香奈本人から言われた。賠償金のとこ消してくれって。俺もまだ本人と話してないんだけど、なんか、直樹ちゃんとのコラボ終わったら辞めたいって言ってるらしいんだよ」
「辞めたい?」
大崎は大きな声を出してしまった。
岸も驚いて大崎を見ている。
「もし直樹ちゃんがまたパクられたら、私の印税使ってくれって言ってるらしいんだ。俺も今、LA来てて本人と話せてないから、よく分からないんだけどね」
「なんでですか?なんかあったんですか?」
「香奈ってさ、ああ見えて傷つきやすいんだよ。トビアスのこともあったしな。日本に帰ったら辞めるなって説得するつもりだけど、とりあえず賠償金のとこはあのままでいいよ。てめぇこの野郎!ちゃんと運転しろよ!くそが!」
田山が怒鳴っている。
「お忙しいところすいませんでした。また電話します」
「ごめんね!バタバタしちゃって。賠償金のとこはあのままで大丈夫だから!そうじゃないと香奈が動かないから!じゃぁまた!」
電話の後、大崎は岸に説明した。
「なんか、昔の直樹ちゃんに似てるね」
岸はタバコに火をつけながら話した。
大崎は逮捕される前に、音楽をやめようと思っていた時期があった
よく売れて高評価を得たアルバムを発売した後だった。
無気力なのに仕事だけ舞い込んでいた時期だ。
そのとき、岸は別のアーティストのマネージャーをしていたが、大崎を気にかけてくれていたから、当時の大崎のこともよく知っている。
「俺、香奈ちゃんに会ってきます。一人にしたらまずい気がします」
岸は笑いながらタバコの煙を吐いた。
「責任とれるの?俺みたいに」
岸は大崎の二度目の逮捕を止めることができなかったと後悔していた。
一度目の逮捕の後、自分がもっと真剣に大崎と向き合っていれば、二度目はなかったかもしれないと思っていたそうだ。
だから大崎の出所後に岸は会社員をやめて、大崎専用のレコード会社を起ち上げた。
出所してすぐは24時間大崎に付きっ切りになり、大崎を心療内科に通わせて、ジムに通わせ、フェスに出演させて、曲を作らせて、仲間との飲み会にも全てついて行った。
その覚悟があるのか、岸は大崎に聞いている。
「やってみます。岸さんが俺にしてくれたみたいに」
大崎はいつになく真剣な表情だった。
「よし!じゃぁ俺も応援するわ。今日、香奈ちゃんはラジオ収録だから、出待ちしようや」
「なんで知ってるんですか?」
「俺、何年この業界いると思ってんの?タレントの予定くらい、聞かんでもわかるわ。あと、俺も一緒に行くから」
「いや、ここは俺一人でいいですよ」
「だめ。香奈ちゃんは、直樹ちゃん一人なら会わないよ。プロデューサーと寝る女って言われたくないから」
岸は話しながらウィリアムへメールの返事を打ち始めた。
「さすがっすね」
「やる時やんだよ、こっちは」
岸はニヤリとしながら遅いタイピングで返事を作っていた。
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