インド生活が1カ月経過して思うこと
今年の元旦に夫の転勤でインドに来て、早いものでまもなく1カ月。
意思も弱く、環境の変化にも弱い私は、インドで生活できる自信がなかった。
日本の友人たちも「いつ戻ってきても大丈夫だよ」と笑顔で見守ってくれる人ばかりだ。
けれども、そんな自分や周りの心配が吹き飛ぶくらい、元気に平和に楽しく生活している。
もちろん、まだ1カ月なのでインドの良い面しか見えておらず、3か月後や半年後にはまた違う考えになっている可能性もある。
それでも私は、想像していたよりも良いインド生活のスタートが切れたと思う。
その理由を色々考えてみた。
①時間感覚が合う
インド人はだいたい時間を守らない。
13時から15時の間に来るねと言ってきて、普通に15時過ぎに来たりする。
ショッピングモールに行っても、開店時間なのに普通にシャッターが閉まってて準備している店もある。
時間をしっかり守ってくれるのは、専属のドライバーさんたちくらい。
今のところ大変な思いをさせられた経験がないからだけど、私はその時間のルーズさがあまり気にならない。
なぜなら、私自身が時間を守るのが苦手だから。
基本人に迷惑をかけたくないので時間を守って行動しているけれど、だいたい当日になると「あと30分か1時間かくらい遅く行きたいなー」なんて本音は思っていることが多い。
インド人の遅れる理由は私と違うと思うけど、遅れる(遅れたい)気持ちが私にはわかるので、なんとも思わないのだ。
逆に彼らのおかげで「私って日本にいる時、ちゃんと時間に合わせて行動してたんだ!偉いじゃん!」と無駄に自己肯定感を上げさせてもらった笑
また、インド人は基本お昼からの行動が多いので、朝が苦手な私としては、そのような時間感覚も合っているのだと思う。
②完璧じゃない
インド人がやることは、いつも完璧じゃない。
どこか抜けていることや非効率なことが多い。
日本だといつも完璧を求められる。
完璧だからこそ良いサービスを受けられるし、安全安心に暮らせるとは思う。
けれども、最近は様々な場面で過度な完璧さを求める人が増えている気がする。
私は日本が大好きだけれど、そんな過度な完璧さがずっと窮屈だった。
インド人は完璧でないことをあまり悪いと思っていないように思う。
完璧じゃない自分を責めてないように見えるし、完璧じゃない人を否定的にも考えてないように見える。
そんなゆるい彼らに腹立たしさよりも愛嬌を感じてしまう。
私はどちらかというと、抜けていることが多い性格だ。
そんな自分が恥ずかしくて責めまくって、必死に隠そうとしてきた結果、(特に職場での)人間関係をこじらせた。
抜けてるところだらけでも、のほほんと暮らしているインド人を見ると、完璧を求めて自分責めするってスーパー無駄だと感じる。
それでも私は生粋の日本人なので、無意識に完璧を求めてしまうことはあると思う。
だけど、完璧にできない自分を責めたり、完璧にできない人にモヤモヤしたりというのは、このインド生活で手放せそうな気がする。
③意外と私は強い
インドに行くと決まってから、治安や衛生面が自分も心配だったし、周りからも心配された。
父は「少しでも水道水を口にしたらお腹をくだす」と言っていたし、
母は「スマホなんか手に持って歩いてたら、盗まれるに決まってる」と言っていた。
もちろん普段からめちゃくちゃ気をつけてはいるけれど、一応今のところお腹を壊していないし、危険な目にもあっていない。
私の母は過度に失敗や危険を恐れる人だったので、私は一般的に過保護といわれる部類で育てられて、しっかり守られてきた。
その反面、少しでも危険があるものには近寄らないので、ある意味チャレンジを一切しない人生を送ってきた。
やるかやらないかなら、やらない選択ができるように無意識にネガティブな情報をたくさん集めてきたと思う。
“気をつければ大丈夫”という考えはあまりなかったし、むしろ”私は抜けているから、気をつけても危険な目にあってしまう”とすら思い込んでいたように思う。
私はインドでの生活で、”思ってたより大丈夫”にたくさん気付けている。
私は十分強いし大丈夫って、ちょっと思えるようになってきた気がする。
一カ月を振り返って、インド生活が楽しく過ごせている理由はこの3つかなと思う。
インドに行く前は、「インドなんて1年くらいで十分。1年過ごしたら日本に帰国する!」なんて思ってたけど、今は一切思わない。
まだビビってることもあるけど、インドでこれがやりたい!あれもやってみたい!がたくさん。
私はそれを1つずつ叶えるごとに、新しい私が垣間見えるのがうれしいし、インド生活を終了した先に、ずっとなりたかった私になれるような気がする。
ということで2月からインド生活2ヶ月目も楽しく過ごしたいと思う。
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