「心のままに」が苦手

就活をしていると、2つの声が聞こえてくる。

新卒で行けって声と、1年くらい遅れても大丈夫だよって声。

どちらも正しいのだと思う。

新卒を優先する会社があるのも事実。大企業は特に。
福利厚生が整っていれば、なんでも大丈夫ですよって学生は新卒で行った方が良いのだろう。

1年くらい遅れても大丈夫と言う人は、自分のやりたい事の輪郭がはっきりするまで考え抜きなさいと言いたいのだろう。

私のやりたい事。
私がずっと困っているのは、自分の本音がわからないことだ。

私の家は、姉と親の仲が悪かった。
姉と私は仲が良かったし、親と私も仲が良かった。
だから、余計に苦しかった。
私は、姉と親との架け橋でいなければならないと思い込んだ。


私は、親が姉のことが大好きだって知っていたし、姉は私に「怒っていない時の親は嫌いじゃない」と話していた。

親は、姉が規則を破ったら凄く怒る。
姉は、規則を守る意味が分からないと言う。
姉と私は4歳差であるけど、私が小学2年生から高校2年生まで、家では朝と晩、毎日喧嘩が繰り返されてた。何時間も何時間も。
内容はその日によって違う、本当に些細な事。勉強をしろだの、学校に遅刻しないようにしろだの、人が作ったごはんに文句を言うなだの。
今思えば、なんでこんなに些細なことで数時間も激しく言い争えるのか不思議だけれど、反抗期っていうものはそうなのかもしれない。

そんな家で、私は常に家族の機嫌を伺っていた。
父は、たまに機嫌が悪い。仕事の繁忙期は特に凄く疲れている。それでも少し口数が少なくなるといった変化しかないけど、そんな時に姉がいらない事を言うと父の怒りが爆発するので、私は常に注意を張り巡らしていた。

姉は空気を読んだり、人に同調することをしない。
調和よりも自分の正義を大事にしていた。
そんな姉をいつも親は心配していた。実際に姉は学校でもよく喧嘩していて、学校に行きたくないとよく言っていた。
母は不安に耐えかねるように私に「心配だなぁ」とこぼした。
父も姉のことを心配していると言う話を母から聞いた。

私の人格形成の大半は、ここからきていると思う。
私はどうしても親を不安にさせたくないと思ってしまう。そういう風に動いてしまう。なんて言うと凄く良い子に聞こえるけど、私の場合は自己満足でしかないことに自分で気がついているので、これでは駄目だという葛藤が消えない。

私の親は、どちらかというと放任主義だし、子どものことを溺愛している。
進路相談をしたら、常に「どこ行っても良いよ。応援するよ!」と言う。凄く優しい親であると思う。

そんな感じの家なので、私が親の心配を考えて動かなければと思うのはお角違いも良いとこなのだ。自由に楽しんで生きる事こそが親の願いであるのだから。

でも私は、日常生活で自分の意見をいう事なく、親の機嫌を伺ったりすることに全力を注いでいた人間だ。
もっと言うと、自分の心の声を全力で無視していた人間である。
本当は、食事中に喧嘩が始まるのは最悪だったし、常にストレスだった。でも、私は自分の心を無視した。さっさと食べ終わって自分の部屋に帰る。あるいは学校に行く。そうすれば解放される。それで納得していた。自分が持っている嫌悪感を認識することを、今思えば私は無意識に避けていた。

姉は、正義感が強かった。そういう人は日本社会の出る杭を打つ文化の中では理解されにくい。「いじめられっ子にも原因がある」とか言う人が結構いてしまう社会で、姉がいじめっ子を言い負かしたとして英雄になれるとは限らない。もはや逆で、白い目をむけられる場合がある。私は姉が自分の正義に従って動ける点を尊敬した(その行動が少し攻撃的すぎる点は置いておいて)。なので親が姉を心配するのに共感する一方で、姉の味方でもいたかった。なんとなく、姉が気兼ねなく話せる相手は私しかいない気がしていた。もし、私が嫌悪感を持てば、姉はそれを簡単に察する。それが怖かったのだと思う。

それに、自分の嫌悪感を認識すれば、親を嫌いになっていたかもしれないし、姉を嫌いになっていたかもしれない。自分の家は最悪だと思うこと程、私にとって苦しいことはないと思うけど、それは小学2年生の頃の私も同じように思うだろう。それが高校2年生まで続いた。

話は戻るけど、就活の時期になり、私はとても困った。
大学4年生の今、やっと自分のやりたい事が形になりかけているけど、ばかみたいに時間がかかった。
私は、中高一貫校に入ったので中学1年生の頃から先生に進路を聞かれ続けた。ずっと悩み続けたけど、答えは出ずに、とりあえず学部だけ決めて大学に行った。大学3年生の頃から、就職活動を視野に入れて動き始めた。私は公務員試験の勉強を始めた。これは、焦りによる血の迷いであったと今は思う。

公務員ほど安定していて、親を安心させる職業はない。
そう思って勉強を1年した。試験が近づいてくると、私は私が血迷っていたことに気が付きだした。私は公務員に本当になりたいのか?という疑問が色濃くなっていった。
私は、公務員は安定している点に加え、「人の役に立つサービスを提供できる」という点を魅力に思っていた。でも、それは公務員をしたい理由ではない。「やりがい」として自分を説得できる材料であった。

私が公務員を選んだ理由は、親を安心させられるという点だ。
でも、親はそれを望んでいない。微塵も。

自分も親も望んでない職に就こうとしている謎。

私の価値観として、別にお金持ちになりたいとか、出世したいとか、そういうことはない。なら一層、この選択肢は違う。自分のしたい事に挑戦すべきだ。

自分の浅はかさが嫌になる。
私が本当にやりたい事は、今思えば、大学1年生の時から明らかだった。
先日、友達にこの事を相談したら「公務員よりそっちの方がしっくりくるね。1年の頃からそれ一筋だったじゃん」って言われた。
その辺を明らかにすると大学がバレてしまうので言わないが、本当に楽しかったり嬉しかったりする体験をした。

それを仕事にしようという発想に、今の今まで全く至らなかった。
確かに、それがそのまま仕事になるような物ではないが、それを活かして仕事をする道は絶対にあるし、そこまで博打でもない。
楽しいと思えることを仕事にするのではなく、人の役に立てる安定した仕事に就いた方が親は喜ぶし、自分も自分の感情に振り回されてやる気をなくすこともなくて良さそう。とかいう考えをしていた。
それで1年も、毎日眠たい目を擦って公務員の勉強をした自分に自分で驚く。

自分の感情に気が付けない事が多い。
なんかモヤモヤはするけど、その正体がわからず、とりあえず無視して空気のように扱う。(2択でどちらが良いか心の底では決まっているのに迷い続けることが良くあるが、それの延長…伝えづらい…)
自分の優柔不断さは自覚していた。しかし、それが自分の感情に気付けないことを意味していたことに、今まで気付いていなかった。

私はずっと進路のことが分からずに、大海原で迷子になった感覚だった。
どこかに行かなければ死んでしまうが、どこに何があるのか分からない。
「心のままに」という言葉に憧れるけど、凄く苦手。
それなのに、波に流されることに疑問を持って、自力でどうにかしようとする。考える。間違える。
心はモヤモヤしてるけど、それを上手く整理できない。認められない。

自分の心に素直になるって本当に難しい。私の課題だ。

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