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恋の終わりと同性婚

1年前に3年半付き合った同性の恋人と別れた。
厳密にはケンカをし、そのまま相手との連絡が取れなくなったのだ。

不誠実だとか、ゴースティング最低だとか色々思うことはあるが、終わってしまったことは仕方がないと今は前を向いて生きている。

今月に入り、プライド月間でそこそこイベントがあったり、「結婚の自由をすべての人に」訴訟も全国の裁判所で結果が出揃いつつある。そんな流れを見てると日本も社会が変わりつつあるのかなと少し思いつつ、もし同性婚が将来の選択肢としてあったらその人とも別れる(付き合う)こともなかったのではないかとも思った。

現在、日本で同性カップルに対していかなる法的保護もない。また結婚が持つ貞操義務や相互扶助などのあたりまえの役割すら曖昧に濁されている状態だ。(厳密に言えば貞操義務については裁判であることが認められてたり、相互扶助も自発的にやっていたりとないわけではまったくない)

そんな状態だから同性愛者にとって付き合うということにゴールがない。一般的な人生とされるものでは適齢期になったら結婚し、子供を持ち、家を買い、仕事をやめたら年金生活、子供に面倒を見てもらい生涯を終える。そんな明確な道を出鼻から閉ざされ、ロールモデルも身近におらず手探りで生きていかないといけない中でパートナーとの社会的に承認も保護もされず曖昧な関係で居続けないと行けない。

その元恋人とは3年以上の付き合いになっていたが、転勤がない相手と転勤族の自分では今後のライフプランをどうしていくかすり合わせが必要だった。そこに関して話し合いをしようにも「結婚」という関係もなく曖昧な将来しかなかったため、こちらからの求めに対して、あまり将来を考えようとしない相手にのらりくらりかわされ続けていた。そんなところももやもやが募る部分であったのは確かである。

別れのきっかけになった最後の喧嘩も、もし結婚の選択肢があって二人でそれを目指していたのならば、関係修復をしようというインセンティブも働いただろうが、曖昧な関係でしかなかった自分たちには繋ぎ止めるものがなかった。

3年半付き合って一方的に既読スルー、
それで終わりであった。

自分は今切実に同性婚が必要とは思っていなかった。今の自分には結婚がもたらす利益がそんなに魅力的には見えなかったし、派手な結婚式を上げるような性格ではない。
でも大人の恋愛において、異性間については当然意識される結婚がないことで、自分の恋愛への行動が大きく変わってしまっているように思える。

闇雲に関係を続けるのは想像以上に大変だ。全く意味も見いだせずただただ一緒にいる。深い関係性もなく明日途切れてしまうかもしれない。そんな不安定な関係しか結べないのは寂しいなと単純に思う。

久しぶりに元恋人の家の近くまで行く機会がありそんな事を考えた。

思ったよりも自分は結婚に憧れていたらしい。

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