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中高時代は生徒会執行部でした。+現在のあれこれ


これはとある方との会話のなかで、実は中学、高校では生徒会の執行部でずっと活動していたという話をしていて、まあ15年も前なので、覚えていることだけですが、書いてみようかなあと、思い立った次第です!

中学1年の5月、GW明けくらいの頃かと記憶していますが、担任の先生から「生徒会の執行部に入ってみないか」と声をかけられ、一旦見学してみてから決めますということで、早速生徒会室に向かいました。
よく覚えてなくて恐縮ですが、とにかく人手が欲しいということで庶務の形で入ることになったのでした。
で、その直後に、同じように声をかけられて入った同じ学年の女子生徒が、家が近いというので一緒に帰るということもあって、続けてみようかなあという気持ちになりました。

そして9月頃に生徒会選挙があり、生徒会長、その他役員を投票で決めるのですが、会計役員になったことを覚えています。

中学時代で覚えているのは、NHKの歳末たすけあい運動というのがあると思いますが、その募金を先生同伴の元、NHK仙台放送局に持っていったことですかね…

中学後半は家庭の事情で不安定な状態となり、学校に居場所を求めていたというところがありました。学業成績は良くないながら、生徒会での細々した仕事をひとつひとつやっていくことで、何とか心を潰さずに済んだのかなと、今になって思います。

高校はギリギリのレベルのところを受けて入ってついていけなくなるより、レベルを落として確実についていけるほうがいろいろやりやすいよなあと考えて選びました。
そして合格したはいいものの、県の奨学金制度、授業料減免制度を利用するのに、成績+αで判断されると説明を受け、入学後すぐ、3日目くらい?に生徒会室の扉を開きました。
そしたら、先輩方が「今年初の1年生だ!」と大喜びで迎え入れてくださって、本当に良かったと安堵したのを覚えています。

新人戦やら何やらの取材をして記事をまとめ新聞として配布したり、予算編成についてはそこまで突っ込めはしなかったものの先生方と会議したり、とにかくいろいろ経験できたのは大きいと考えています。

先述の奨学金やら減免やらについても、成績については、苦手な教科は仕方がないから、得意な教科で平均を押し上げよう計画が功を奏し、何とか高い水準をキープできていたし、生徒会活動は課外活動の部分で評価されました。


そして現在…
奨学金は返済が終わってホッとしているのと、生徒会活動で得られた知識は今でも役立っています。

しかしながら、うつ病を患ってしまい、服薬と通院精神療法による治療をしています。
完全に治るのは難しく、どうにか付き合っていくしかない病気です。
今悩んでいて、次の通院日に伝えようとしていることは、人の目、それも特定の何人かの目が怖いということです。
態度も何となく怖いし、というのは事実なのか自分かそう思ってしまっているだけなのか、それもよく分からないので、余計に怖いと思ってしまいます。

こんな感じの中高時代と、現在でした。

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