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歳を取って10キロ太ったらめちゃくちゃ生きやすくなった話

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 自分で言うのも何であるが、若い頃の私は可愛かった。

 いや待ってほしい、年寄りの昔は良かったって話じゃないんだ、過去の栄光話をするつもりじゃないんだ、6話から面白くなってくるタイプのアニメを勧められてると思いながらちょっとだけ我慢して聞いて欲しい。12話まで見たのに面白くなかったらそれは謝るわ、ごめん。

 本題を始める前に、前提として20代の頃の話をしなければならない。
 もう一度言うが、若い頃の私は結構可愛かった。街角で知らない男性に声をかけられたり、痴漢に遭ったり、後を付けられたり、家の前で待ち伏せされたり、知らないうちに本屋で鞄に変な手紙を入れられたり、チヤホヤという表現で許されていたセクハラに遭いまくったりしていた。可愛いかどうかはあまり関係ない気もするが、当時の私は「自分は可愛いから仕方ない」と本気で思い込むことでこの状況を受け入れていた。「それはあなたが可愛いからよ、我慢しなさい」的な女性にかけられた一種の呪い効果である。しかしその良し悪しは別にして(良くはないんだけど)私には呪いの効果が出ない程不愉快なことが一つだけあった。

『初対面の人間に上から下まで舐めるように見られること』

である。初対面じゃなくても嫌だけど。
 勤務先がずっと人の多い街中だったので、外に出ればほぼ毎日この被害に遭っていた。一番ひどかったのはエステ勤務時代、制服がミニスカートのワンピースだった時である。ちょっとおつかいに外に出ると、周囲の視線を感じる。遠くから始まり、すれ違った直後まで凝視してくる人間がいる。九割九分男性である。ひどい時は「いいねえ」みたいにこっちに聞こえる大きさの声を出して話している奴らもいた。時に睨み返すこともあったが(危ないのでやらない方が良いです)大抵の男性は慌てて目をそらすのに対し、中にはニヤニヤとしながらますます見て来る奴もいた。私がランボーだったらハチの巣にしてやるところである。ここがアフガンじゃなくて良かったな。
 見られることの何が嫌なのか。私が感じていた他人を凝視するという行為は「値踏み」なのである。全然知らない人に対して上から下までじっくり品定めするのって、めちゃくちゃ失礼じゃないか。まともなら就職の面接官でもそんなことせんぞ。イメージの湧かない人のために例を出すと、
 ・受キャラが商品としてオークション舞台に登場した時の見物客の目
に日常的に街中でさらされている状態だと考えて頂ければそんなに遠くはない。ちなみに、受キャラを助けに来た攻キャラは絶対こういう目はしない。受キャラでイメージし難ければ推しキャラに変換して頂いても良い。
 瞬発的な不快感はもちろん痴漢の方が圧倒的に上だが、求めてもいないのに毎日値踏みをされるストレスはじわじわ溜まるものである。もやもやとした不快感を抱えながら、私は社会で生活していた。

 転機は出産である。
 妊娠後期に退職してから私は外で仕事をしなくなり、同時に好奇の目にさらされることもなくなった。そして3歳違いの次女を出産したところで私は変貌した。育児ストレスによる過食である。今となっては本気で病院行った方が良かったのかも、と思えるようなほぼ鬱状態の過食期を経て、私の体重は妊娠前に比べ最高で15キロほど増えてしまった。Mサイズだった以前の服は当然全く入らないので、ユニクロでXLの服を買うようになった。正直XLでも腹回りキツイときがあった。しかしながら気持ち的には体重を戻す予定だったし、育児期の服は使い捨てみたいなもんなので、買うのはセンス度外視でセール品のみである。タイトなゴムパンにねじ込む私というボンレスボディである。美容院に行けていない多毛漆黒の頭髪を後ろ1本に縛り上げ、肌は当然荒れ放題で、子と出かける時は両手が空くようにリュックを背負い、酷い花粉症なので年間7カ月ほどはマスクを着用し、メガネを曇らせながらフウフウ歩く。次女を産んで数年経ち、ようやくまともに鏡を見る余裕が出来た頃「えっ、めっちゃヲタクルックやんwwwwドゥフフコポォwww」と笑ったのであるが、直後に笑えない事態であることに気が付いた。鏡の中、視線の先は哀愁漂う二重あご。ちなみに世のママたちはおそらくもっと早くから鏡を見る余裕が生まれ、対策をしているハズである。私になぜそれが出来なかったかと言うと、その時期私は命を懸けて同人誌を作っていたからだ。周囲のママ達が鏡を見て運動や身なりのケアに気を遣っていた頃、私はモニターを見てデジタル画材の習得と推しCPケアに勤しんでいた。自分のメンタルケアにはそれが必要だったのである。もしも推しCPより自分のケアを優先していたら、きっと私は完全に育児鬱でイッてただろう。その後、過食は何とか止まって5キロほど自然に減量したが服のサイズはまだXLのままである。

 鏡を見る余裕が出来た私には、同時に周りを見る余裕が出来た。そしてある外出時に突然気付いたのである。

あれ?人の視線を感じないぞ?

 何とも説明し難いのだが、とても不思議な感覚だった。電車に乗っても、街を歩いても、店に入っても、かつてあれだけ感じていた他人の視線を一切感じないのである。みんなが私を無視している。あれ?私ここに居る?ひょんな事から石ころぼうしをかぶってしまったのでは?食い逃げしてもバレないのでは?(してません)私はまさに空気になっていた。すごい。肩で風を切って歩いても誰も見てくれない。メイ!私たち風になってる!
 私は得も言われぬ自由を感じた。想定外の解放感に、正直ちょっと泣きそうになった。若くて、ボディメイクに気を遣って、こまめに美容院に行って、オシャレして、コンタクト着けて、メイクして、ヒールを履いてニコニコ歩いていた頃よりも、歳取って、メタボ寸前の腹で、爆発したような髪で、ボロボロのパーカーを着て、ずり落ちそうなメガネかけて、日焼け止めだけ塗って、砂まみれのスニーカーを履いて、疲れ切った顔で歩く今の方が、ずっと自由で気が楽だ。デブなBBAになっちまったやべぇと思ってたけど、もしかしてこの方が良いんじゃないか。私は「女」から「人間」に生まれ変わることが出来たのだ。
 正直な所、この自由に気付くまでは若い頃の私って自意識過剰なんじゃないかと思っていた。だって、常識的に考えてそんな不躾に他人のこと見る人いる?って思うじゃん?視線を感じていた当時だって「見られてる、でも気のせいかも」ってなるべく思うようにして生きていたのだ。人に話せば自意識過剰と笑われると思っていたから言わなかった。痴漢被害を愚痴ったら、相手も女性なのにセカンドレイプに遭ったことがあるからだ。誰にも言えない、気のせいかもしれない不快感だけがずっとまとわりついていた。だけど、今と比較すればはっきり分かる。私は確実に見られていた。知らない人にスルーされる今の私の環境が正常で、行き交う人に値踏みされる若い頃の環境が異常だったのだ。そして今も、知らない人に当然のように値踏みされる不快感を感じている人は多いんじゃないか。不快だけど自意識過剰と笑われるから、愚痴すら言えない人もいるんじゃないか。値踏みしてるつもりなんかないとか、無意識だから仕方ないとか、好みだからつい見ちゃうとか、好意的なんだからいいじゃんとか言う人もいるかもしれないが、知らない人を凝視する、頭のてっぺんから足先まで視線を這わせるって行為そのものが失礼に当たるだろと私は思う。何とかならんのか。全女性がランボーになるか北斗神拳を極めれば秒で解決すると思うのだが、修得に当たってまた女性にばかり負担をかけるような策だと非難されてしまうだろうから、この案は己の胸の内にだけ秘めておくことにする。

 歳を取って、いわゆる「オバさん体型」になって、周りの反応が変わって私はすごく楽になった。けれど本当なら歳も体型も関係なく、空気みたいに街を歩ける社会になるといいなあと思う。
 もうすぐ次女が小学校に上がってちょっと時間ができるので、そうしたら私も少し体を絞りたい。今の体型を否定はしないのだが、正直体が重くてちょっと辛いのである。あと、服をMサイズに戻せたら子なし共働きのお金持ち時代に買った昔の服が着られるので経済的にめちゃめちゃ助かるのだ。10キロのダイエットか。こんな時、義妹の金言を思い出す。

「切る勇気がないなら努力しろ」

あとヘッダーのスタローン上手に描けたと思ってたけど身体細すぎるね。いつも心にはムキムキを住まわせておきたい。

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