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前回の雑記より、関東と関西で言い方が異なる「〇年生」と「〇回生」とについてあれこれ書いています。

今回は続きとなります。

さて、前回は「なぜ関西の大学では“回生”」なのか、という点で、東京帝国大学(明治19 年時点では「帝国大学」)と京都帝国大学(設置は1897 年/明治30 年)の、当時の単位認定に関する資料から探ってみました。

わかったことは、京都帝国大学と(東京)帝国大 学では、専攻科目の単位認定のところから異なっていた、ということです。

では、どうして単位認定の仕方が異なっていたのか。

そのヒントは、「一覧」(明治19-20 年の帝国大学一覧と明治30-31 年の京都帝国大学一覧)にありそうです。

「(東京)帝国大学一覧(明治19-20 年)」・第四章「分科大学通則」の第一「学年、学期、休業」を見ますと、学年を三学期(三つに分ける)とあり、一学期(明治19 年9月11 日授業開始)、二学期(明治20 年1月8日授業開始)、三学期(明治20 年4月8日授業開始)それぞれに期間が設定され、第三「試業及卒業証書」では、学年末の試験あたる「学年試業」を6月21日に実施しているとあります。(東京)帝国大学では、学年末に一度、当該学年の試験が実施されており、一学期と二学期で受講した授業(課目)を完了した場合に受けられるとあり、そこから規程の評定平均数により原級からの昇降または退学が決定されているため、(東京)帝国大学では「学期」と「学年」による教育制度で運用されていたことがわかります。

一方の京都帝国大学は、同じように「一覧(明治30-31 年)」の「京都帝国大学分科大学通則」・第一章「学年、学期、休業」を見ると、学年は7月11日を開始とする秋季(学 期・7月11日開始)と春季(学期・1月21日開始)との2学期制になっています。ところが、学年末の試験にあたる「試問」については、(東京)帝国大学とは異なり、明確な日程が設定されていません。第五章「試問」をみても、科目の試問は、授業が完了した時に実施する(第二十六条)とだけ記されており、少なくとも明治30 年の設置当初は、(東京)帝国大学のように、年間予定として一斉試験が設定されていたわけではなかったということになります。ただし、この当時の京都帝国大学は、理系にあたる理工科大学のみ設置されており、文系大学が設置されるのは、2 年後の1899 年(明治33 年)9月の法科大学が最初となります。

そこで、明治32 年-33 年の「一覧」からすでにある法科大学に関する規程(京都帝国大学法科大学規程)を見ると、そこでも、「試問」については、法科大学においても、試問を受ける場合には、その科目 の受験名簿に記載し担当教授の了承を得る(規程第十条・十一条)とあることから、基本的には、担当教授の裁量により、試問できるというスタイルだったことになります。

また、修業年数(在学)の考え方についても東京と京都では決定的に異なっています。

(東京)帝国大学の場合、各大学(分科大学)には「修業期限(法科・工科・文科・理科は3 年、医科が医学で4 年、薬学で3 年)」が設定されているのですが、京都帝国大学の場合、各大学(分科大学)の規程には「最短在学年数(法科・医科の場合は4 年、理工科は3 年)」とあり、在学については、それぞれ分科大学の倍にあたる期間(法科・医科は8 学年、理工科は6 年)が設定されています。

つまり、東京の場合は、「修業」とある通り、その年数までに学科の科目を履修していなければならないのに対して、京都の場合は、「最短在学年数」とあるように「最低でも〇年は在学してね、でも、倍の数を超えてはいけないですよ」と、学年という括りで動いていないことがわかります。

この差は、いったいどこからくるのか。

実は、それぞれの大学がモデルとしている教育制度にありそうです。文献や資料、ネット 記事を参考にすると、(東京)帝国大学も京都帝国大学の場合も、欧米の大学をモデルとしているそうですが、少なくとも、京都帝国大学については、春・秋の2期制をとっていることから、いわゆる「セメスター制」だったことがわかります。セメスター制とは、1年を春学期と秋学期の2セメスターに分け、セメスターごとに各科目の授業が完結する制度のことを言います。ちなみにセメスターはラテン語のsemestris(6 カ月の)に由来しているそうですが、京都帝国大学を見ると、秋は7月~12月、春は1月~7月で、それぞれ1~2 カ月程度の休業期間が入ると、だいたい6 カ月の設定になりますね。先程のセメスター制を字義通りに、つまり「セメスター毎に各学科の授業が完結する」ということであれば、京都帝国大学の「試問」に関する規程(同分科大学通則・第五章)にも、「授業の完了したときにこれを実施する」とありますので、(東京)帝国大学のように、通年の総仕上げとして試問(試業)を実施していたわけではなく、秋、春学期それぞれの終了時に試験を実施していた、ということになりそうです。

(東京)帝国大学は、試験が年度末に1 回実施され、進級についても昇降という「仕切り」があったことから、「学年」「年生」という表現が主だったのに対して、一方の京都帝国大学は、試験が学期毎に実施され、かつ、学生生活も、進級という考えではなく「最短在学年数」や「在学上限」という、東京の「仕切り」にあたるような当年度としての括りがなく、科目によっては半期毎で履修内容が異なり「年間を通じて」ではないことから、学年や年生ではなく「回生」という表現になったというのは想像に難くないですね。

さて、今回も長くなってしまいましたので、次回に続けようと思います。

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