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自分の母をふと恨んでしまわないために

来年自分が母になるということを想像するたびに、幼い頃の自分をやけにくっきり思い出すようになった。
楽しい思い出ももちろん無数にあるのだけれど、何となくしんどかったことの方が鮮明に思い出されてしまう。

例えば、母によるピアノの指導だ。

私は3歳から高校3年までピアノを習っていた。母は幼稚園教諭をしておりピアノが弾けた。だからか、私のピアノ練習に対して異様に厳しかった。

私が家で練習しているといつの間にか隣に来て、だんだん母の声が怒声になっていく。最後には「どうしてそんなこともできないの」という言葉と共に手の甲や頭を叩かれる。私は涙で顔がぐしゃぐしゃになってもうピアノどころではなくなり、練習は終わる。

ただ厳しい指導の甲斐もあってか小学校高学年になるとコンクールで入賞するようになり、校内の合唱コンクールでは常に伴奏を担当するようになった。

けれど大学入学とともにピアノ教室は辞め、もう全く弾かなくなって10年が経つ。楽器を演奏する楽しさを存分に経験したはずなのに、ピアノを見て今も思い出すのは「なぜ母は私にあんなに厳しくしたのだろう」ということだ。

前に実家に帰ったときに、「なんでピアノの練習中いつも私を叩いたの?」と母に聞いた。
なるべく素朴な疑問というふうに軽く聞いたつもりだったが、母は私をじっと見て、ごめんなさいと謝った。それから「どうしてこんな簡単なことができないんだろうと思うと止められなかった」と言った。

謝罪を要求したつもりではなかったのだが、何となく私が母を責め、母が謝るという構図になってしまった。
同時に、当時怖くて何も言えなかった幼い自分がよみがえってきたような気分になって、「叩かれたのはすごく嫌だった」と言ったら涙が出て仕方なかった。母は私から目をそらさなかった。


母のことを恨む気持ちは全然無いし、親子関係は良好だと思う。
けれど幼い頃のことを頻繁に思い出すようになって、あの頃は怖くて何も言えなかったことを、「あの時どうしてあんなこと言ったの?したの?」と今になってふいに言ってしまいそうになる。

そうするとどうしたって私が責める形になってしまうし、そんな自分を止められなくなりそうで怖いのだ。

ーーー

という内容を、最近夫に話した。
夫に、自分の母を恨むような気持ちになることはないかとも聞いた。

夫はこう答えた。

「幼い頃は母によく怒られたし叩かれたこともある。理不尽だと感じたことは何度もある。今思えば母もかなりギリギリの状態だったと思う。ただ結婚式をしてその時に母に感謝の気持ちを伝えたら、何となく自分の中で母を許せて今までの鬱屈した気持ちはかなり成仏された気がする。」


夫と話した後、私は結婚式での夫のスピーチを思い出した。

私と夫はお互いの家族だけで小さい結婚式を挙げた。ほぼ食事会のような場で、最後に二人でそれぞれ短いスピーチをした。
私は夫の存在にどれだけ救われているかということと、これからの抱負のようなものを話した。

一方で、夫はお義母さんに対して感謝の気持ちを述べていた。
不在がちの父に頼らず仕事をしながらほとんど母一人で育ててくれたこと、母が自分を生んだ年齢を超えてそれがどれほど大変か想像したこと。
淡々と、でも思慮を重ねた夫の言葉にお義母さんは指で涙を拭いていた。

私はこの時、親への感謝を言葉にできる夫の素直で誠実なところをまざまざと見せられて、なんて素敵な人なんだろうと思うと同時に、私は自分の両親に対して何も言わなかったことを恥ずかしく思ったのだった。

ーーー

私の母もまた、私を育てるのに必死だったのかもしれない。

「こうなって欲しい」と願う母の気持ちに子どもの私は無自覚で時に疎ましく感じたりしたけれど、もう過去のことを何か言うのはやめようと思った。
自分自身も恨みがましくなりたくない。

「傷ついた幼い頃の自分」は今健康で楽しく生きている私が癒してなぐさめてあげたい。

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