【映画】永遠の門 ゴッホを見た未来


私はずっと
ゴッホは自画像を描いた時に
自分の耳が上手く描けないから、

自ら耳を切り落としたと
思っていたのだけれど…

昔、
誰かから聞いた事を
信じていたのかな。

いい加減な記憶です…。

だから私は勝手に
ゴッホは怖くて変り者の
おじいさんかと思っていました。

それが
原田マハさんの
ゴッホの人生を描いた著書
『たゆたえども沈まず』を読んで、

全然違うじゃないかと驚き。

事実はまた別の驚きでしたが。

しかも
おじいさんじゃなかった!

37歳の短い人生だった事にも驚きました。

なんも知らない自分に
突如湧いて出てきた
ゴッホへの興味。

今、
ちょうど良いタイミングで
ゴッホ展が上野で開催され、

また良いタイミングで
『永遠の門 ゴッホの見た未来』が上映されて。

急激に
気になる存在No.1になったゴッホ。

そんなゴッホの映画を
観る事が出来ました。


生きるって
こんなにも
悲しいことなのか。

見終わった直後の
ふとした想い。

この涙はなんだろう…

分からないけど
とにかく悲しい。

自分が見ているものを
分かち合いたいのに
拒絶されてしまう苦しさ。


同業者にも
そこに住む土地の人々にも
受け入れてもらえない存在。

溢れる情熱を
受け取ってくれる人がいない
孤独感は心を疲弊させ
自分なら耐えられない。

なんで分かってくれないのか?

今だから
そんな風に思えるのかもしれないけれど、

当時のゴッホの存在は
異質だったのは真実なんだろうな。

映画の中でもゴッホは
生まれてくる時を
神が間違えてしまったと言い、

しかし、
未来の人々の為に
神は僕を画家にしたとも
言っている。

そこが切ない。

今じゃないって事を
自分でも分かっていた。


自然の美しさに感動し、

自然の中へ溶け込み、

エネルギーを感じ、

他の人には見えない
世界の現実に近いところに居て
それを独りで見ていた。

草木のような植物から、
風や
月や太陽の光にさえも
生命(いのち)を見ていたのかもしれない。


生きるとは何か
自分の絵を通して
感じてもらいたかったはずなのに、

生前は一枚しか
絵が売れなかったゴッホ。

しかし、

地平線の彼方に見えていた
ゴッホの永遠は、

今、
確かに
私達の所へ繋がっていた。

ゴッホが居た
自然の中に溢れた光は
今ここに届いている。

大地に横たわり
土に触れた時のゴッホの微笑み。

この時は
間違えなく幸せの中に居たはず。

映画を思い出しても
涙の中に
悲しみが強く残るけど、

芸術家の人生を通して
生きるとは…と
問われた気がする。


どんなに時間が流れ、

時代が変わろうとも、

ゴッホの開いた門は永遠と繋り、

そこからこちらを
優しく見ていてくれる様な気がするから、


生きるとは…?

答えは自分で探すしかない。




























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