note書いてる人、もっとドヤっていい。
note書いてる人って、優しい人が多い。
優しい人ってか、優しすぎる人が多い。
note書いてる人は、謙遜せずにもっとドヤっていい。
謙遜すな。
もっとドヤろう。
素人のくせに発信してる人なんてのは、少なからずドヤ感ありき。自分のうちなるドヤ感を内々に止めることができずに、SNSで発信してしまい、赤の他人にアラレもない姿をさらけ出している。
もちろんプラットフォームによる得手不得手はある。
Facebookは、パリパリのスーツを着た人がドヤる。髪型をバキバキに決めた仕事盛り世代が、今の私ったら、こんなことやあんなことしてますよ。かっこいいっしょ?とドヤる。
インスタは、休日のお出かけファッションでドヤる。私のOFFってこんな感じなんです。どうです?今日のランチったらオシャレでしょ?こう見えてOFFの私ったら、みなさんと距離感近そうで遠いでしょ?とドヤる。
ならば、noteは?
noteは、よれよれのパジャマでドヤる。「あー、普段こんなこと考えてますねん。普段の生活は程々に、それなりにやってます。あ、私、文章書けるタイプですねん、書けない書けないいうてますけど、どちらかというと書ける方だと自負してますねん。言葉遣いも秀逸でしょ?何気ない日常を面白おかしく切り取って、楽しく上手に生きてますねん、アホそうに見せてますけど、少し賢い風気取りたいんです。へへ、こんなこと考えてるワイってば、おもしろい人間でしょ?」とドヤる。
noteを読んでると、noteを書いている皆さんって、1番自意識が強いような気がする。兎にも角にも自分が大好き。スカしてるけど、本当は1番自己承認欲求が強くて、めんどくさい人たちの集まり。
1番恥ずいSNSがnoteだと思う。
*
発信するからには、読まれたい。
読まれて内なるドヤ感を爆発させたい。
けど、悲しいかな。
ドヤ感溢れ出てる文は読まれない。
読んでてもしんどい。
このジレンマよ。
ドヤりたいのに、ドヤれない。
愛されたいのに、愛されない。
愛されるよりも、愛したいマジで。
みたいな。
このズィレンマ。
では、ドヤ感をいかにして薄めるか。
上手に隠せるか。
読みやすさを言い換えるならば、ドヤ感の薄め方を知ってるかどうか。ドヤ感を全面に出さず、上手に隠せる人の文章は、とても読みやすい。
ならば、どうやって隠すか。
んなもん知らねぇ。
そんなん知るかよ。
こちとら、文章のことなんて1mmも分かんねえってんだ。
*
けど、これだけはいえる。
恥をさらす。
素直に書く。
イキらない。
要は、余計な謙遜すな。
ドヤれ。
もっと自意識を解放せよ。
みんなあなたに興味はない。
だから、ドヤっていい。
謙遜しても謙遜損。
自己満足ではい終了。
よれよれパジャマの文章なんて、興味はない。どうせ下手なんだから、書きたいことを書いて、自分の羞恥を世にさらして、マゾヒズムに浸ればいい。
それだけ。
・こぼれ話
最後までお読みいただき、ありがとうございます!サポートしていただいたお金はビールかスーパーカップかおむつ代に使わせていただきます。 これからもゆるく頑張らせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。