命を、想う。
この1年は多くの死に触れ、命と向き合う時間が長かった様に思う。
僕は人の死に触れた時、中学生の頃亡くなったじいちゃんの事を想う。
その事を少し書き記してみる。
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うちは母方の祖父母と同居していて、
共働きで忙しかった父と母に変わり良く祖父母に可愛がってもらっていた。
特にじいちゃんは、孫の中でも僕に目をかけてくれていた様に思う。
甘えん坊で泣き虫だった僕が気にかかっていたのかもしれない。
短気ですぐ怒る面を持ち合わせていたじいちゃんだったが
僕の前ではいつも優しかった。
もちろん、僕もじいちゃんが大好きだった。
ある日ヨーヨーをしている僕を見て
「そんなに上手になったのか。庭に芝生を植えてあげたら、もっと練習しやすいかもしれないな。」
と言ってくれた。
嬉しくて嬉しくて
他の家族に相談したら「そこまでしなくても」と笑われた。
今思えば、本気でヨーヨーをやる事を最初に支援してくれたのはじいちゃんだったのかもしれない。
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ある日じいちゃんに話しかけられた際
どうやら何かに集中していた僕は少しだけ冷たく足らってしまったみたいで
じいちゃんにはそれが寂しかったらしい。
「…そんなにじいちゃんが嫌いか?」
びっくりした。
「いや、嫌いなわけないじゃん。」
返事もなく、寂しそうに部屋に戻っていったじいちゃんの後ろ姿が
今でも目に焼き付いている。
じいちゃんはその後すぐに入院する事となる。
ちょっと体調が悪いとしか聞かされていなかった僕は
心配しながらも、すぐに帰ってくるとばかり思っていた。
それからすぐに、母からじいちゃんの余命が1年ほどである事を告げられた。
病状や今後の事について、色々と話していた気がするけど
頭が真っ白になって、正直何も入ってこなかった。
「俺この1年、じいちゃんの所に出来るだけお見舞いに行くよ」
兄の言葉にはっとして
「俺も行く」
と口に出すのが精一杯だった。
それから1ヶ月後、突然じいちゃんは亡くなった。
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地域のマラソン大会の練習に出ていた僕は、近所の兄ちゃんから
「父が迎えに来るからすぐ一緒に病院に向かえ」
と告げられる。
勘の悪い僕はその言葉がどういう意味なのか理解していなくて
車内で父に「じいちゃんどうしたんだろうね」と声をかけたが、返事はなかった。
病室に着くとベットを囲んで皆泣いていた。
状況が受け止められなくて
なんだかドラマみたいだなとその場を眺めていたら
「なおくんは間に合わなかったんね」
という誰かの声が聞こえた。
ああ、じいちゃん死んだんだ。とその時やっと理解した。
それから後悔の念が押し寄せる。
もっとお見舞いに行けていたら。
あの時もっと優しく接していたら。
あの寂しそうな背中を追いかけていたら。
考えるとキリがなかった。
じいちゃんの死に目に会えなかったのは
天罰かもしれないと本気で思った。
冷たくなりつつある、まだ少し柔らかい手を握りながら泣いた。
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じいちゃんが骨になってしばらく家にいた頃。
深夜に何度か仏壇の前に行って、それを眺めながら
「めっちゃ念仏唱えたらちょっとくらいじいちゃんと会話できるかも…?」
と思い、他の家族にバレない様小声で念仏を唱えたりした。
僕は宗教に対して懐疑的だったが
世間の皆がこれだけ毎日仏壇に手を合わせているのは
何か裏技的に死者と会話ができる方法が実はあるんじゃなかろうかと思ったのだ。
何日かそれを繰り返して気付いたのは
きっと皆も同じ気持ちなんだという事。
大切な人が亡くなった時
どうにか自分の気持ちを伝えるため
相手の声を聞くために
すがるような想いで手を合わせるのだ。
結局僕はその裏技を見つける事はできなかった。
(でも僕の気持ちが伝わってるかどうかはわからないか。伝わったと思っておこう。)
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それからしばらくはドラマやアニメで
誰かの死に触れるシーンを見れないくらいには落ち込んでいたけど
日が経つにつれて、楽しかった思い出がそれを上書きしていった。
それでも、後悔の念は今でも僕の胸に小さく残っている。
後悔の無い死など、あるのだろうか。僕は経験した事がない。
関係や想いが強いだけ、後悔は残る。
僕たちは、その想いを背負い生きていく。
じいちゃんがいたから今の僕があるのだ。
僕はこの命を大切に、全力で燃やし続ける。
この1年は本当に悲しい報せが多かったね。
どうか、少しでも環境が収まって
健康で健やかな日々がいち早く戻ってきます様に。
Naoto
PS.
なんだかこの記事を書いていたら
昨年の11月に亡くなった
クラウンYAMAさんの事を思い返して
まだ見れていなかった、亡くなる2ヶ月前の公演動画を視聴した。
YAMAさんの人生が詰まった、命燃ゆる素晴らしいショーでした。
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https://vimeo.com/ondemand/yama
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