LGBTとカルト宗教
日本は元からLGBT後進国だったわけではない
『彼女が好きなものは』という映画を視聴した。
浅原ナオトという人が小説投稿サイト『カクヨム』にアップロードした『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』が原作です。
同性愛者の男子高校生を主人公とした青春小説で、10代の男女の日常と心情が非常に細やかに描写されていて、台詞にもセンスが感じられ、苦悩を描いている為に重くなるパートもありますが、全体的には爽やかな作品に仕上がっているなという印象を持ちました。
なお原作者は急死されたようです。
ご冥福をお祈りします。
この作品を取り上げた理由ですが。
驚いたからです。
何に驚いたのかというと……。
ここまでの同性愛に対する無理解と偏見が今でもあるのかと。
LGBTであれだけ騒ぎになっているのに……。
映画は2021年に上映されていて、原作小説の連載は2016年です。
2016年頃だったら、まだ可能性はあるな、と思いました。
言い替えれば、この作品が成り立つ程に、リアリティーを読者に感じさせる程に、同性愛に対する無理解と偏見が、社会にまだ根強く残っていた、という事です。
日本では1988年に昼の高視聴率番組であった笑っていいともでMr.レディー、Mr.タモキンの輪というコーナーが放送されて、ゲイブームと呼ばれるものが起きました。
90年代の空気を覚えている人はわかると思いますが、ネタとして消費されていた面もあるのでしょうが、同性愛者が市民権を得て、普通の人として受け入れられるところまでは行かなかったものの、変わった人達として社会から受け容れられるところまでは行っていたのではないとか思います。
00年代前半になると、都市部は別として、流石に地方では、まだまだ差別も偏見もあり、親にカミングアウトするかどうかで人騒動起きるといった事もあったようですが、それでも徐々に、社会の理解は進んでいった。
と思われていました。
LGBT問題に関して、日本では、海外と比べて理解が遅れているという枕詞がよくつくわけですが、実際には、元からそうだったわけではないのです。
少なくとも、00年代の初め頃、半ば頃までは、海外と比べて遅れているなんて事はなかったと思います。
そもそも日本は非キリスト教圏の国であり、同性愛に対して宗教上の理由から禁じたり、差別や偏見があるというわけではありませんから、一旦、社会に容認する空気が醸成されれば、意外と円滑に理解が進むだろうと考えられます。
それ以前の問題として、日本は元々、同性愛には寛容な国で、武家であれば衆道と呼ばれる男色文化があり、江戸時代には陰間と呼ばれる男娼までいる状況で、同性愛はごく普通に認められていました。
同性愛を排撃するようになったのは明治以降の話で、政府が推進した近代化政策、欧化政策の中に、キリスト教的な価値観である同性愛に対する忌避感情が一緒に輸入された事が原因です。
その戦前ですら、男色文化は徐々に復活していき、流石にあけっぴろげという事はなかったみたいですが、江戸時代のように、ごく普通に同性愛が行われるような社会になったようです。
つまり、00年代の段階で同性愛に対する理解が相当進んでいたにもかかわらず、2016年に『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』がアップロードされて、リアリティーを伴った作品として支持されて、書籍化、ドラマ化、映画化されるというのは、そういう異常な事なのです。
昔の時点で同性愛に対する理解が停止したか、あるいは、逆に理解が後退し、差別や偏見が強化されていた、という事になるからです。
その原因を推測して辿り着くのが、カルト宗教なのです。
元凶はカルト宗教
カルトとして有名な統一教会はキリスト教系ですので反同性愛です。
また、禁欲主義であり、子作り以外の性交渉を禁じており、婚前交渉の禁止、自由恋愛の禁止を教義としています。
このあたりの事情は散々報道されているのでご存知だと思います。
上記の記事で正体を隠して学校に潜り込み、性教育と偽って純潔教育を推進していた、という事が書かれていますが、統一教会は、自分達の素性を隠して一般人のふりをしては、統一教会の教義を巧みに広めようとする、自分達の意見が多数派であると偽装しようとする、という事を繰り返しています。
20年近く前の話になりますが、2ちゃんねるで統一教会の学生組織である原理研究会が教会員の学生を動員し、執拗なネット工作を行っていたとされる問題が発覚して、物議を醸した事があります。
ネット掲示板は匿名が書き込める為、IDが出るスレッドだったとしても、回線を幾つか使用すれば多人数が書き込んでいるかのように偽装できますし、実際に元2ちゃん管理人のひろゆき氏が語った話ですが、ネット掲示板というのは、スレッドに5人とか10人くらい常駐させて、自分達に都合のいい情報を書き込ませ続ければ、ジャックする事が可能なのだそうです。
統一教会に限った話ではないのですが、そのような形でスレッドに信者達を数名配置し、しかも各人に幾つかのIPを用意して、ネットに書き込みをさせてスレッドをジャックし、自分達の語る意見が多数派であるかのように偽装するわけです。
そしてそれを閲覧した人や、書き込んでいた人達は、まさかそんな工作が行われているだなんて夢にも思わないわけですから、自分の意見が世間一般の感覚からずれているのではないかと思い込み、中には、自分の意見を多数派の意見に合わせようとして、考えを改めたりするわけです。
また、ネットの意見を参考にする人達は、それで現代の日本の多数派の意見だと思い込んでしまう。
今でも性が絡むような問題について論じるスレッドでは、同様の手口でカルト教団が教義を広める場として悪用しているものと考えられます。
ネット上での動きはほんの一例で、このような形で、カルトはあらゆる手を使って自分達の教義を社会に浸透させようとする工作活動を行っていて、その全容はまるでわかっていませんが、それが極めて広範囲で、大規模で行われている点には疑いの余地はありません。
少なくとも、その事が原因で、今の日本社会は、かなりカルト側の教義が反映された価値観に変質させられているものと考えられるわけです。
具体例を挙げると高校生と恋愛がそれにあたります。
日本は高校生の恋愛には寛容で、自由にすればよいという風潮が強いです。
ところが、高校生は未成年であると、徒に未成年である事を強調し、未成年から交際を迫られても、大人なら断るのがモラルだ、だの、未成年との性行為は淫行条例違反で犯罪だ、だの、高校生を恋愛対象にする奴はロリコンだの、あらゆるロジックで高校生と成人との恋愛を否定し、犯罪だと言い張り、反対するロジックを取る人達がいます。
全員がそうだとは言いませんが、この種の書き込みをしている人間の多くは、一般人を偽装したカルトの信者です。
傑作だったのは、婚姻可能年齢が16歳から18歳に引き上げになったわけですが、その事を指して「これで高校生と付き合った成人が結婚する為の真剣交際をしているという理由で淫行条例の適用対象から外れる事になる」だとか、「高校生との恋愛を合法とした判例が見直される」等と言い放つカルト信者がいた事です。
判例というのはこれの事です。
そもそも淫行条例自体、過去の判決で判事の一人が違憲であるとの意見を述べた代物で、違憲性の極めて高い典型的な悪法です。
女性の婚姻可能年齢が引き上げられたところで、淫行条例の判例が変更される事はありませんし、また、結局、法律や条例を悪用して、高校生が恋愛し、性行為する事を禁忌にしたいだけなのだなというのがよくわかります。
この淫行条例自体、場合によっては、統一教会も制定に何らかの間接的な関与をしていた可能性も考えられますが、そこまで行くと話が逸れますので、この点について深く掘るつもりはありません。
高校生の恋愛に関しては、流石に、未だに多数派の意見は容認で変化ないとは思いますが、それでも、高校生が成人男性と交際する事に対して、反対するような意見を述べる人達が、徐々に増え始めているように感じます。
このような現象が起きたのは、やはり、ここ10年くらいの変化です。
統一教会は、2009年に自民党が衆院選で大敗北を喫し、その事で同等と急接近して関係を深め、2012年末の政権復帰後は、自民党を介して強力な政治的影響力を様々な方面に発揮して来ていた事が解っていますが、上述のような世相の変化が起き始めた頃と、統一教会が強い政治的影響力を有するようになり始めた時期が、綺麗に重なっているのです。
統一教会による純潔教育の国民への浸透戦略が一定の成果を得た結果と見れば、彼らは反同性愛であり、LGBTについては言語道断だと主張しているわけですから、同様に、それらの工作活動も、一定の成果を得ているものと考えられます。
これが日本がいつの間にかLGBTに対する理解が遅れている後進国になってしまっていた元凶ではないかと考える根拠です。
カルトに蝕まれる社会
カルト教団は自分達の存在を隠して活動します。
教義を広める為に、一般人を偽装して活動し、一般人が警戒しないようにロジックを組み立て替えたりして、ソフトな戦術で自分達の意見が国民に支持され、浸透されるように小細工します。
性教育の現場に素性を隠して潜り込むとか、ネット掲示板に一般人を偽装して書き込んで、自分達の教義が支持されたのと同じ状況になるように持ち込もうとするとかは、まだ目に見えやすいものです。
芸能人を使って、露骨にならないように、教義に沿った生活を賛美するような意見をテレビや雑誌、講演会等で述べさせて、ファンや視聴者、読者、聴衆に支持させるように仕向けるとか(芸能人を広告塔として使用したこの種の手口も比較的知られたものですよね)、テレビや雑誌に教団の教義に沿ったテーマの特殊なや記事を報道させて、気づかれないように、教団の教義を支持するような人達を増やしていくとか。
かなり巧妙な手口で、国民が教義を支持したのと同じ状況か、あるいは似た状況に持ち込もうとしている事は確かですので、耳障りのいい言葉に騙されて「この考え方はいいな」と思っていると、実はカルトが教義を支持させる為にやっていた謀で、間接的に教義を信仰させられていた、なんて事になりかねないわけです。
例えば先程の高校生の性と恋愛に関してですが、最近、統一教会が悪用しているのが、妊娠の問題です。
性行為すると妊娠してしまうが、10代での出産は危険なので、高校生の性行為そのものを、性交同意年齢を18歳まで引き上げて違法化すべきだ、性行為させないように性教育を徹底すべぎだ、といったロジックを取っています。
論理の飛躍がある事は言うに及びません。
コンドームの使用や経口避妊薬の推奨、また、アフターピルもあるわけですから、その存在を周知すればいいだけの話です。
何故、出産には危険が伴うからという理由で、いきなり性交同意年齢を18歳まで引き上げて違法化しろとか、性行為させないように性教育を徹底すべぎだなんて話になるのか、という事です。
その癖、統一教会は、妊娠や性病の蔓延を防ぐ為に活動していた女性の産婦人科医を脅迫して、正当な性教育を妨害するような真似をしているのです。
呆れて物も言えません。
今挙げたのはほんの一例で、統一教会をはじめとするカルトは、一見すると「まともな事を言っている(もっともらしい事を言っている)」かのように偽装して、教義を守らせようと仕掛けてくる点に特徴があるのです。
カルト教団は信仰と教義の拡散を行っていて、早く言えば、自分達の教義と信仰に従った社会に、日本社会を替えたいという願望と野心を持っています。
統一教会なら男女が自由恋愛せず、教団が決めた相手と結婚し、結婚後、初めて性行為を結び、子作り以外に性行為はしないという社会に日本を作り替える事を目指しているわけです(勿論それだけではありませんが)。
カルトを監督する官庁も作らず、野放しにしておけば、日本社会がカルトの価値観で汚染されて、どんどん変質して行ってしまうのです。
カルトは一日も早く、全て潰すべきです。
追記
元々、文学の世界では、同性愛はテーマとしてよく使われるようです。
純文学では、そういった設定でなく、社会問題として、90年代や00年代には同性愛者の出てくる作品が、食傷気味になるくらい、沢山作られました。
性同一性障害が世間に知られるようになったのもその頃ですし、金八先生で取り上げられた事もあって(2001年の第6シリーズ、上戸彩さんが演じている女子生徒が性同一性障害という設定です)、かなりの注目を集めました。
民主党政権時代の頃までは、少なくとも、この種の問題で日本が海外と比較して特段遅れていると言われる事はなかったと記憶しています。
だからこそ、現在のLGBT後進国と言われる状況は異常なのです。
意図的に誰かが仕掛けて推進を妨害しない限り、起き得ない状況で、だからこそその黒幕としてカルトの存在が浮かび上がってくるのです。
同時に、LGBTの人達が、政治運動をする事で、今後こそこの問題を社会に浸透させて、市民権をきちんと得て、普通の人として生活できるような社会に作り替える事に強い感情を持つのだろうな、という事も理解できました。