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情報の少ない親戚

1月に母方の祖母が亡くなりました。享年97歳、老衰。あと長くて1週間位だろうと母から連絡があった翌々日の朝に訃報が届きました。介護施設で10年以上暮らし、ここ2、3年ほぼ眠っているような状態でした。

亡くなった当日に通夜、翌日葬儀のつもりで実家に帰って待機していたら、火葬場に空きがなく、遺体保存のため通夜はなし、三日後に葬儀と火葬ですと葬儀屋さんから説明されたと言われました。火葬場が満員とかあるんですね。結局その日は何もせず実家に泊まり、翌日午後から仕事に行きました。

葬儀は私と両親、兄、伯父夫婦のみ参列。母が棺に入れるお菓子とみかんを持って来ていました。祖母はみかんが好きだったそうです。知らんかった。そこで初めて祖母の好物を知りました。

葬儀の後は市内の火葬場へ移動。火葬場の独特な熱気と匂いって家で陶芸の窯焚いた時とちょっと似てるんですよね。火葬場の焼成温度を調べたところ、800〜1200度らしいです。温度高めの素焼〜低火度の本焼き位です。あと職員のお姉さんの立ち振る舞いがものすごい舞台役者っぽいのが気になって仕方なかったです。「こちらが…喉仏で、ございます」とか抑揚の付け方といい役に徹している感が凄かった。ホール内の照明が暗くて音が響くから余計に演劇感がありました。母も似たようなこと思っていたらしいです。あと兄がみかんらしき焼け跡あったでとか言ってました。よく見てるな!私も入れ歯の金具残ってるなとか思ってましたけど。

終わり方といい、祖母との思い出もあまりないせいか特に悲しいとかはなかったです。

私が大学生の時、祖母は駅前のマンションに住んでいました。当時、駅前のカフェでバイトしていたので、大学の講義後からバイトまでの間、時々祖母の家で休憩させてもらってました。一度だけ、料理が苦手な祖母がシーフードピラフを作ってくれたことがあります。冷凍のシーフードミックスを使ったピラフ。「お婆ちゃんこんなん作るんや」と思いつつ黙々とピラフを食べる私の向かいで、祖母は静かに雑誌か何かのクロスワードパズルを解いていました。何を話したとかは忘れました。シーフードピラフはシンプルな味付けで美味しかった。あと買ったけど食べきれなかったであろう賞味期限切れのお菓子とかを持って帰らされた覚えがありますwまともに覚えている祖母との思い出はそれだけです。

祖母、たまに会っても一緒に遊んだり冗談言い合ったりすることもなく、好きなものや何を考えているのかもよく分からない、変わった人だったなあ。と思ったところで気が付きました。兄の子らから見た私もそう思われているのではと。今のところ、たまに会うお年玉くれるおばさんくらいにしか思われてない気がします。陶芸やってるくらいは兄が教えてるかもしれませんが。正直私もあまり興味がありません。健康であってくれたらそれでいい。ただ将来迷惑かけたくないなというのと、甥姪からしたら数少ない収入源(お年玉くれる親戚)の一人ではあるのでそれなりの生活力は保っていなければと思っています。自分が子供の頃してもらった分、いくらかは返せる大人でありたい。