法の支配と法治主義の違いをわかりやすく説明


法治主義は悪法も法という考え方、
法の支配は悪法は法でないという考え方です。

以上です(^^♪

法の支配について、色々な人が色々な角度から色々説明をされてます。
法の支配の対義語は「人の支配」ですけど、
法治主義との対比で違いを説明するなら
上記のように説明するのが最も簡潔でしょう。

また「法の支配」を実質的法治主義、「法治主義」を形式的法治主義、
と呼んだりもします。
このように広い意味の法治主義だと
法の支配も法治主義の一形態、という事になります。
ややこしいですね(+o+)

以下この記事では法治主義を狭い意味で使いますので
よろしくお願いします。

法の支配について時々出される疑問点として、
「悪法が法で無いなら、
じゃあ自分で好き勝手に判断して法を守らなくていいってこと?」
ていうのがあります。
もちろん違います。

法の支配において法は正しい法でないといけませんが、
では何が正しいかを誰がどうやってどういう基準で決めるのか?
日本やアメリカだと「違憲立法審査権」というのがあり、
裁判所が、裁判で、憲法に違反してないかを基準に決める、
という事になります。
憲法には基本的人権の尊重だとか法の下の平等だとか書かれてて、
それに反する法は無効という事です。
なので日本やアメリカの法システムは
「法の支配」の原理で運用されている、と言えます。

一方、大日本帝国やドイツのワイマール共和国は法治主義でした。
ワイマール憲法は当時世界でもっとも先進的な憲法と言われてました。
ところが法治主義だったため、
「ナチスに国家運営を全部委任します」みたいな法ができても
「法律だから仕方ないねー」となっちゃいました。
その反省から、今の民主主義国家はたいてい法の支配で運営されています。

もし「バトルロワイヤル法」ができたら、
法治主義の国なら先生は生徒同士殺し合いさせても
法を守っただけだから罪になりませんが、
法の支配の国なら後で罪に問われる可能性があるので注意が必要です。

こう考えると法の支配の国の国民もなかなか大変ですね。
法律違反かどうか機械的に判断するだけではダメで、
自分で善悪を判断しないとダメなんですから。
これは先ほども書きましたが
「自分で好き勝手に判断していい」という事ではありません。

自分で判断して、「且つ判断の結果に責任を負わなければならない」
という事です。
もっともこれは究極の話で、
日常生活では99%法律に従っていれば問題ないわけですけど。

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説明は以上となりますが、
何でこんな事を書いたかというと、
あるnote記事の説明に驚愕したからですw

その記事でも法の支配と法治主義の解説をしているのですが、
私が司法試験や行政書士試験の受験用解説サイトとかで読んだ事と
まったく違う事が書かれていました。
こんな説明を信じる人がたくさん出たらよくないなーという思いと、
ワンチャンこんな考え方もあるのかもしれないという思いで
その記事にコメントしました。

そしてお互いのコメントのやり取りが割と長く続いたのですが、
突然それらのコメントが全部消されてしまいました。
また私が新規にコメントしようとしたら
ブロックされててコメントできませんでした。

何かずいぶんカッコ悪い事をする人だなあと思ったのですが、
その人にとってはコメントのやり取りが残ってる事の方が
もっとカッコ悪い事だったのかもしれませんね(*´Д`)

それで自分で説明記事を書いた次第です。

ちなみにその記事というのは、橋本琴絵さんという人が書いた↓です。
ご笑覧下さい、って私が言ったらダメですね。
よかったらご覧になって下さい。


2022/2/2追記

最近「オクラホマ・キッド」ていう戦前のアメリカ西部劇を見たんですが、法治主義の是非について考えさせられるいい映画でした。

民衆を扇動する悪役がヒトラーやトランプを連想させましたw

先住民をはした金でオクラホマから追い出した事を主人公が批判するとか、戦前の映画なのにすごいなー、と思いました(小並感)。

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