表現の自由・言論の自由についての私見

最近表現の自由について
主に表現の自由戦士が書かれた記事を関心を持って見ていました。
それらの記事を読んで私が思った事を書きます。

ちなみに私は自称表現の自由戦士兼自称フェミニストです。


まず表現についての大原則は以下であるべきと考えます。

1.表現したい人は表現できる。
2.表現を見たい人は見ることができる。
3.見たくない人が強制的に見せられる事は無いように。

この3つが全て満たされるのが理想です。
それが理想だという理念は
規制派フェミにも表現の自由戦士にも
ぜひ共有していただきたいです。

そして全て満たす事が無理な場合は、
話し合いにより落しどころを見つけるか、
言論の自由市場で決着をつけるしか無いと思います。

言論の自由市場での決着は、
大多数を占めるサイレントマジョリティの動向がカギとなります。
たとえば「めくら」などという言葉は
新聞やテレビ等公共空間ではほぼ絶滅しました。
その言葉に痛みを感じる人はごく僅かです。
ただ、痛みを感じない大多数の人が
「痛みを感じるというごく僅かな人の気持ちを理解でき、共感できる」
「他に代替される言葉があれば別にそれでも構わない」
と考えた結果、これらの言葉が市場から淘汰された訳です。

最初は状態を示すだけの価値中立的な言葉であっても
常に侮蔑と共にその言葉を使われ続けると
言われる側はもうその言葉自体が嫌になる、
という気持ちは私にも十分理解可能です。


次にもう一つ大事な原則は、
「ある表現を批判したり、中止や改変すべきと主張する事自体は
守るべき言論表現の自由に含まれる」
という事です。

批判の中に誹謗中傷デマヘイト罵詈雑言等があれば、
それにより表現が委縮され、表現の自由への侵害となり得ます。
しかしある表現に対し肯定的な評価を述べるのも
否定的な評価を述べるのも、
それ自体は言論の自由です。
そこはきちんと切り分ける必要があります。

やはり表現の自由戦士の記事の中には
その事をよく認識してないのではないか、
と思える物もあります。

オタクコンテンツの擁護者の中には
「表現の自由を守る」と言ってる人が多くいますが、
オタクコンテンツを守る事と表現の自由を守る事は
イコールではありません。

例えば石川優実さんは
ツイッターで誹謗中傷が蔓延している事に抗議して
ツイッターの利用をやめたとの事です。

仮にオタクコンテンツ等何かの表現を批判する人に対し
罵詈雑言を浴びせかけ、
その委縮効果により批判者が沈黙したとするなら、
オタクコンテンツを守るという視点からは勝利ですが
表現の自由を守るという視点からは敗北です。
表現に対する罵詈雑言がダメなのと同じ事です。

誰とは言いませんが、石川優実さんのツイッター停止で
勝ったと喜んだり祝杯をあげたりしてる人には
「貴方が守ろうとしてるものは何なんですか?」
と聞いてみたいです。

松戸vtuberの件も、
フェミ議連の抗議内容にはまったく賛成できませんが、
抗議する事自体は言論の自由の範疇でしょう。

何か表現すれば、それに対し賛成だ反対だと
無責任な外野はいろいろ言います。
それらの声を総合的に判断して
表現を継続したり中止したり変更したりするのは、
主催者の権限であり責任です。
もし警察がフェミ議連の抗議に委縮して表現を撤回したとするなら
(もちろん公式にはそんな事絶対言いませんが)、
あまりにも腰が引け過ぎで、主な責任は警察側にあると思います。


以上私見を述べました。

異論反論は歓迎ですが、
罵詈雑言はご容赦ください('◇')ゞ

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