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助監督をやってみて思うこと(やりがいの搾取)

久しぶりにnoteを書いてみる。
久しぶりに仕事が落ち着いたからだ。
仕事は助監督をしている。
こないだまで、寝る時間以外働くみたいな3ヶ月を過ごしていた。

この仕事を始める前の普通の大学生だった時、

助監督は辛いよーねれないよー

なんか聞いた事あったが、本当に

つらい、寝れない

この時代にあり得るのかぐらい寝れない。
なぜ、このような状況に至るのか、何が原因なのかは、また次のnoteで書きたいと思う。
助監督は何をしているか分からないと思うので、主に何をやっているのかというと
・チーフ助監督→毎日のスケジュール書く(映画の場合、ドラマは現場の進行)
・セカンド助監督→衣装関連の調べごと、エキストラの演出
・サード助監督→書類や画面の内容提案、美術周りにおける調べごと文字内容の提案

という、ポジジョンごとに分かれている。
このポジション役割わけが労働を悪化させているんだと思う。

こないだまで、僕は普段セカンドだが、大変な内容だったので、サードの役割を特別にしていた訳だが、まあ、明言は避けますが、特殊な調べごとが必要な職種で。普段絶対接しない職業をまず調べ、脚本に、こんな書類見たいな、ふんわりと書かれていることを具体にしなければならない。
本が成立するために、演出の狙いが成立するために、内容の提案を監督にするということを行なっている。
これが量が多ければ多いほど、大変でねれなくなる。
 
また、大声で言えないが、人によっては、対してその職業を調べず脚本家が本を書いてたりするので、僕らが職業を調べて、本が描きやすいように資料を作ったり、本をこうしたほうがいいとか、その対象となる職業を調べた観点で意見したりする。
調べる能力がない人ほど薄い台本になったりする。
例をあげると
脚本家「ここって、〇〇の方って、どんな事するんですかね。わからなく書けなく」
僕「この状況だったら3つぐらい考えられますが、このキャラクターなら、こんな事したりするといんじゃないですかね」
脚本家「いいですね。それ」
内心の僕「いいですねそれじゃねーよ、一度でも調べたかのか」

困ったものだ。これよりもっと、セリフに近い事を言ったりもする。なんならひどい時は結構台本を書きなおした時もある。
まあ、助監督という仕事は助けるという字が入っているから、これが仕事という説はあるんだが。
何か遣る瀬無い気持になるのは事実だ。

でも、なぜ続けているのか。
映画が好きだし、監督になりたいからだ。
そして、自分の仕事が作品、演出の為になるのは、嬉しい。

ただ、働きすぎとは全く関係ない
僕は思う

やりがいの搾取だ!!!!!

そして、老害どもは、良く言う

「これぐらい平気。昔はもっと大変だった」
→知るか!!!

素晴らしい人間性を持ったベテランはそんなこと言わない。
大抵こんなこと言う奴は仕事が良くない人だ。
いつも、そんな人を見ると思う。
だから、みんな辞めていくんだ。働かせるならそれに見合う金払え。
愚痴を言えば永遠にかける自信がある。
自分も辞めればよかったと正直後悔している。
しかし、ここまで続けてきて、監督の話も出始めたりしているので、辞めれない。
あ、これがやりがいの搾取か。

演出について考えることは出来るので、きちんと機能すれば監督になる為に役に立つ職業だと思う。
ただ、今はいろんな選択肢があるし、やりがいの搾取をいつまでも続けると人がいなくなっていくんだろうと思う。
きちんと皆んなが助け合い、平等の労働環境をつくれば、労働は守れるんじゃないかなと思う。

自分が思うやり方で、これ以上この業界の悪い部分を引き継がないようにしたい。

好きなものを続けられる環境があったほうがいいと思うから。

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