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きみは短歌だった

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#日記

【番外】 あなたのことを理解できない世界で、短歌はにこにこしている

こんにちは、柴田といいます。このテキストを書いている時点で私は35歳です。不躾ですが、あなたは何歳でしょうか。 歳上かもしれないし歳下かもしれません。同い歳だとちょっとうれしい気がします。同年齢のスポーツ選手や芸能人は、それだけで親近感がわくものです。でも、だからってわかりあえるわけではありません。 私たちはみんな違うし、理解することはできない。 歳を重ねるごとに、その思いが強くなります。 「できない」は一種の諦念です。少しでも理解できたらいいのに、たぶん少しも理解でき

【入りこむ②】 夏みかんの中に小さき祖母が居て涼しいからここへおいでと言へり/小島ゆかり

蝶々が超苦手だ。 わたしは結婚するまでずっと、両親と、兄と、それから祖父母と一緒に暮らしていた。祖父は家庭菜園に凝っていて、祖母は草木の好きな人だった。苺も採れたし、葱や紫蘇も植わっていた。梅の木と柿の木と夏みかんの木があった。正直、節操がない。とにかく一年を通じて家を囲むように何かしら生えていた。だから良い虫も悪い虫もわんさかいて、春になればモンシロ、夏が近づけばアゲハが飛んだ。 幼いわたしは、当然、虫を捕まえるようになる。ある日、わたしはアゲハを捕まえた。大きくて美し

【入りこむ①】 惣菜パン惣菜パンひとつ飛ばして窓、そこらじゅう夕日が殴る/柴田葵

「パンが並ぶパン屋の窓はパンがある限り開くことはない」ということに気がついたのは、大人になってからだ。 実存するパン屋は客商売なので、ある程度人通りのある場所でないと成立しない。そして、人通りのある場所は大抵埃っぽい。剥き出しのパンが棚にある以上、窓があっても開けることはできないのだ。 アパートのはす向かいにある小さなパン屋は、男性が一人で切り盛りしていた。商店街の一角、学生たちが通る道沿いにあるので、ある程度は売れているらしい。土曜の朝、卵サラダロールを買ってパン屋を出

【35歳②】 だんだんと母に似てきて母になりやがて私はだれだろう 雪/柴田葵

こんにちは、柴田葵です。2月ってバグが起きたみたいに短いですね。 先日、子供が「おかあさんは何さいなの」と尋ねるので、正直に「35歳」と言いました。それ以降たびたび、ブルゾンちえみの口調で「35歳」と振り向いてきます。 私が15歳のころ、25歳と35歳はあんまり変わらないような気がしていました。ある程度成熟していて、かといって年でもなくて、内面的にも外見的にも社会的にも、なんていうか同じような範疇かなって。 15歳の私の視界はドット絵だったんでしょうか。 25歳と35

【35歳①】 よく晴れてなんにもない日むりにでも出かけなければもう角砂糖/法橋ひらく

こんにちは、柴田葵です。今回は私が私の言葉で私の考えていることを書きます。 先日、法橋ひらくさんの第一歌集『それはとても速くて永い』批評会に行きました。 ーーー ※第一歌集とは、その作者(歌人)の最初に出した短歌の本です。尚、この歌集は書肆侃侃房から刊行されている新鋭短歌シリーズの21冊目。新鋭短歌シリーズとは、自薦他薦による有望な若手歌人の、主に第一歌集を打ち出していく企画です。kindleでも読むことができます。 ※歌集批評会とは、歌集をより深く読むための勉強会の

【篠さんと鯵①】 ともだちを旧姓で呼ぶともだちがちゃんと振り返る 蚊だよ/北山あさひ

前に葵ちゃんが短歌をやっていると聞いたのを急に思い出して、Twitterで短歌を検索してみました。それで偶然にこの短歌を見て、腹立たしいほど会いたくなりました。私たち、もう何年会っていないだろうね。葵ちゃんがアメリカに行くまえに、りえたろの結婚式があったけれど、あまりゆっくり喋れなかったから。みんな綺麗にドレスアップして、美味しい料理を食べて、拍手して、私たちそれぞれ、終わってから急いで帰ったよね。とても素晴らしい結婚式だったけれど、私はあれを「再会」にはカウントできないまま

【篠さんと鯵②】 あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている/柴田葵

篠さんからメールが来て、返信できずに三ヶ月が経った。 篠さんは高校のころの同級生で、私たちは同じ美術部だった。二年生のときの文化祭では「私たちは永遠に大きなものを作らねばならない」「これは大きさへの挑戦である」と言って、ふたりで大きな鯵をつくった。大きな鯵は大変場所を取るので、立てて展示することになり、美術室のベランダから空に向けて屹立する鯵が完成した。私の夢のなかでときどき泳いでくる鯵は、たぶんあのときのあれなんだと思う。 篠さんは篠原さんという苗字で、みんなに「しの」