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「行動しろ」ってよく言われるけど。

はじめまして。
一般の会社で営業職をしている、ごく普通のサラリーマンのよしもです。
人生2投稿目です。

今日は、「行動する」という、極めて抽象的なことについて書きます。
これもたぶん分かってくれる方多いんじゃないかなと。

"行動しろ!"


これも最近よく言われることだと思います。
社会人1年目の方や、上司のいる方は言われたことがあると思います。
自己啓発系の本とかでもよく見ますね。

そのときによく思うのが、

何をしたらいいかわからない

自分

です。

安心してください。
ここでは、「こうしたらいいよ!」と偉そうに書くつもりは全くなく
(そんな身分でもないので、)

何を言いたいかというと

「行動」=ものすごく大変で、難しくて、崇高なもの
って捉えてるだけでは?


と、思った話です。
ただそれだけ。

ここでいう「行動」というのはたぶん、

"自分が夢中になれるものを見つけるために、まず「行動」しよう!"
"学んで終わり、ではなく「行動」が大事!"
"「行動」することで結果が変わる"

偉い人

といったニュアンスで使われる「行動」で、
それを聞いたときに、

「行動」=ものすごく大変で、難しくて、崇高なもの

というイメージが働いてしまう。
たぶんこれは、大人になればなるほど思ってしまうものなんだと思う。

年齢(とし)を重ねるにつれて、
これまで築いてきた仕事や、職位、小さい功績や経験もあるはずだが、

僕自身は現在27歳で、ずっと都内で営業職として働いてきたので、

「今からエンジニアになろう!」とか
「今から仕事を辞めて地方で働こう!」とか
ってなってくると腰が重い。
重すぎる。

決して否定している訳ではなく、「27歳都内営業職」という人間からすると

変化

なのだ。
そして、「行動」した先にあるこの「変化」がちょっぴり怖い

どんな結果が待っているかわからないから。

これが結婚して子供ができて、となると影響の範囲が広がってさらに怖い。

で、

「行動」=「変化」=「怖い」
ものすごく大変で、難しくて、(行動できたらそりゃ)崇高なもの

自分2

という方程式ができあがってしまう。

なのだが、


たぶん
"行動"という言葉で物事を括りすぎてる
んじゃないかと思う。

実際の行動としては、
・読む(この記事を読むことだってそう)
・書く
・話す
・手を動かす
・足を動かす

このあたりがメインで、これを複雑に捉えすぎてるんじゃないかと。

僕自身も"行動"してこの記事を書いているのだが、
キーボードをカタカタ動かしているだけだ。

行動=記事を書く=キーボードをカタカタする

と考えれば、一気に難易度は下がる(気がする)

"気がする"だけで良いなと思う。
それでハードルが下がるのであれば。

「考えるな!行動しろ!」
と言われて、
「・・・(どう行動したらいいんだよ)」
って思うのは当然で、
身体の動かし方がわからない。

逆に言うと、身体の動かし方さえわかれば"行動"ってそんなに難しいものでもないと思う。
例えば、

"自分が夢中になれるものを見つけるために、まず「行動」しよう!"

偉い人2

と言われたら、
・話を聞く
・ネットで調べる
・見にいってみる
・触れてみる
・書いてみる
って動作に直してみたら良いのでは。

まとめると、


「行動しろ!」って言われたら、

“どんな身体の動かし方なのか"

を考えてみると、一気に軽くなる気がする。

人生もっと楽に生きていこう。


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