過干渉について

私は過干渉の母に育てられた。
何をするにも小言を言われ続けてきたので私はもう何も母の判断を間違えたくない、母の正解の中で生きたい(そのほうが小言を言われず楽だから)と思い自分で判断することができなくなった。何をするにも母に聞いた。
お風呂に入っても良いか?
お茶飲んでも良いか?
この服着ても良いか?
などなど。
そしてそれが普通だと思っていたので母以外(例えば先生や友達など)にも聞いていたのでめちゃくちゃ鬱陶しがられていた。自分がしたい!気持ちより相手がそれを許してくれるかのほうが重要だった。

過干渉の親だと何がしんどいかって、私は母から信頼されてないんだなと感じること。私の判断や考え、行動は母が気に入らないので私自信の自信がどんどんなくなっていった。
なのに、これどう思う?といざ聞くと「好きにしたら?」という答えが帰ってくる。文字だとニュアンスが伝わらないかもしれないけど、それってすごく絶望する。
その「好きにしたら?」と言う言葉は私をすごく突き放してしまう。母の顔色を伺いながら過ごしているのに好きにしたら?と言われると私の「好き」が何かわからないのだ。私の好きは何もない。母の好きにしか生きてこなかったから。母が嬉しいと思うことが私の嬉しい、母がダメ!と言うことが私のダメ!
だから何をするにもどうしたら良いか聞いてしまう。自分がどんどんなくなっていっていた。そして自分がどんどん嫌いになった。

子育てをしていると母と同じような子育てしか出来ないしその方法しか知らないのでやっぱり母の影がすぐにチラついてあぁなりたくない、とばかり思ってしまう。でも母を否定すればするほどその母に育てられてきた自分のことも否定することになりとても辛い。

この出口はどこにあるのか。
こんなのを抱えながらこの先ずっと子育てしていかないといけないのか、と思うとたまにとても辛くなり消えてしまいたくなる。
こんな私に育てられる息子達はちゃんと育つのだろうか。
誰かに言ってほしい。
「大丈夫。その愛情は子ども達にちゃんと伝わってるよ。だからもっと肩の力を抜いて、もっと、かけがえのない日々を、いつか終わってしまう子育てを、ネガティブな部分にばかり目をやらないで楽しみなさい」と。
私はきっと母にそう言ってもらいたい。
いつまでたっても私は母の娘なのだ。憎いがその事実だけはやめられない。

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