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その日、人類は思い出した──「ヒトは食べられて進化した」ことを。 #Herd Ⅳ|進化心理マガジン「HUMATRIX」

" その日人類は思い出した 
ヤツらに支配されていた恐怖を… 鳥籠の中に囚われていた屈辱を…… "

───『進撃の巨人』諫山創

" 「うなり声が聞こえた。振り返ろうとした刹那、ライオンが今にも私に飛びかかろうとしているのが目に入った。私は少し高い場所に立っていた。飛び上がったライオンが私の目を捕え、ライオンと私は一緒に地面にくずれ落ちた。恐ろしいほど耳の近くでうなりながら、ライオンはテリアがネズミにするように私をゆすった。衝撃で私はネコに一度ゆすられたネズミのように何も考えられなくなった。一種の夢の中にいるようで、痛みの感覚も恐怖もなかったが、何が起きているかはすべてわかっていた……肉食動物に食われる動物はおそらくみなこのような不思議な状態に陥るのだろう。もし、そうならば、この状態は慈悲深い造物主が死の痛みを軽くするために与えてくれたものなのだ。」 "

────デイヴィッド・リヴィングストン(イギリス人探検家、アフリカの地でライオンに襲われた経験を語る)


前回からの続き:
>マンザハンターVS. マンザハンテッド〜人類は狩りをするサルか、狩られるサルか? #Herd


#12
食べられるのを見る楽しみ


レオナルド‪·‬ディカプリオが主演を務め、アカデミー賞を受賞した映画『レヴェナント: 蘇えりし者』(2013)。1823年、西部開拓時代のアメリカ・ミズーリ川を舞台に過酷な大自然をサバイバルする映画だ。


この映画の最大の見どころはディカプリオ演じる主人公のヒュー‪·‬グラス(なんとこの映画は伝記に基づくノンフィクションで、実在した人物らしい)が巨大な熊に襲撃されるシーン。POV式で画面がぐわんぐわんと動く。長回しカメラのワンショットで撮影されているため、臨場感満点に「食べられた」気分が味わえる。これほどリアルな────とはいえオレは食べられることのリアルを知らないが────被食体験はなかなかない。クマは臭いを嗅ぎ、グラスの体をいじって転がし、噛みつき、振り回す。


襲われ、食べられている最中のグラスは、瀕死の意識状態にありながら、機を見てナイフで反撃に出て、クマの腹部を何度も刺して倒し、九死に一生を得る。だがグラスは喉を切り裂かれており、声を出すことも物を飲み込むこともできない。体中の骨が折れて這いつくばることしかできず、背中には骨にまで達する深い爪痕が残る。病院などない野生の地では、もはや死を免れない大怪我だ。

「クマに食べられている」グラスの様子を見るのは痛々しいが────なぜ痛々しいのか?オレの脳に進化的に搭載されているミラーニューロンが反応してあたかも自分も負傷したような気分になってしまうからだ────それでもそれを見るのは楽しい。"食べられているのを見るのが楽しい"だって?ああそうだ、楽しい。映画は娯楽だし、楽しくなければ娯楽として成立しない。これが眉を顰める発言だとしても、楽しいことは認めるべきだろう。


人が食べられる映像は、映画体験のなかでもとりわけサピエンス達から人気を博しているシーンだ。


『ジュラシック‪=ワールド』(2015) しかり『MEG ザ・モンスター』(2018)しかり『クロール-凶暴領域-』(2019) しかり、アニマルパニックものの愉快さの核を成すのは「食べられるのをみる楽しみ」だ。


なぜ食べられるのを見るのは楽しいのか? #Fictus シリーズで学んだように、フィクションの快楽には生物学的な適応性がある。ヒトは"ホモ‪·‬フィクトゥス"とも言われるくらい物語りに根差した種で、フィクションは自分が死ぬことなく死んだ経験値を蓄積できる手段(その経験値はリアルで生き残るために生かされる)として、人類から愛されてきた。

ジュラシック‪·‬ワールドに出てくる恐竜のように、人生でまだ遭遇したことのない捕食者に食べられるのを〝見る〟(映画が登場する以前は物語によって聞かされ脳にその想像を投影していたが、21世紀では直接リアルな映像が提供される)ことは、ヒトの生物学的適応度に資する。実際に見てしまったらもう「おしまい」なのだから(きみは野山でクマに出くわしたいか? )、あくまでフィクションの中で楽しんでおく──経験しておく──のがいい

>参考: ホモ‪・フィクトゥス:母なる進化はなぜ「フィクションの快楽」を人類に与えたか? #Fictus Ⅰ


映画を構成する数多のシーンの中でも、とりわけ「食べられる」シーンが人気を博し、観客からの需要が大きく、フィクション提供装置である映画の中でもとりわけ制作費をかけて重要度高く描かれ、ヒトの心を本能的に惹きつけているという事実は、ヒトの進化上の過去において何か似たような"経験"が頻繁にあったのではないかということを仄めかす。

「これに気をつけろ、注意しろ、警戒しろ、今のうちに経験を積んでおけ────」。進化はフィクションを楽しむサピエンスに「食べられる」シーンへの注目を促す。



なぜなら人類はもともと「食べられる」側の被食者(prey)としてサバンナに存在していた動物だからで、狩りというスポーツをプレイ(play)する側に回ることができたのは、人類史700万年のなかで190万年前のホモエレクトス時代以降の話だからだ。




#13
ありふれた献立の一つ



300万年前のヒト科・アウストラロピテクスは、猛獣たちが美味しく平らげるランチだった。


ぎこちない直立二足歩行でサバンナをよろよろと歩いていたチンパンジーに似たこのヒト科動物は、四足で疾走できるシマウマの祖先のような他の獲物に比べてもはるかにイージーに狩れる格好のお肉だった。

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