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人を救いたくなるとき

はい、これは間違いなく自分が救われたい時です。初めて結論から書いてみました(笑)。人から助けを求められて助ける、といったスムーズな流れというよりは、自ら『この人助けたい!』と思ってしまうような時です。

宗教観からでしょうか。自分を犠牲にして人を助けなさい、人を助けることは美徳、人から賞賛を受けることと、社会からもそう教わる風潮があったように思います。

自分を犠牲にした状態(自己犠牲)で人を助けると、必ず見返りを期待したくなります。犠牲になった分だけ取り返す。良い悪いの道徳観ではなく、エネルギー的に見て、こうなるのが普通です。

僕も経験したことですが、人は自分が助かってないと、本当の意味で人を助けることはできません。仕事でそういった側面があるとして、能力(スキル、技術)である程度カバーできたとしても、いずれ自分と向き合わざるをえない時が来ると思います。

人は自分を犠牲にすることに慣れているので、人(他人)に目を向けることは得意です。人の目が気になる、人のやってることが気になる、粗探しをしてしまう、このような外に向ける意識の中に、”人を助けたい”という気持ちが含まれていたりします。

自己犠牲をした状態での人を助けたい意識はその実、自分が助かりたいと思っています。本当は自分自身が一番辛いのです。この場合、助けたいと思われている相手も、どこか同じように自己犠牲精神を持っている人だと思います。そんな相手を助ける=自分が救われる(助かる)の図式で人は人を助けようとしますが、この場合、エネルギーを奪い合うだけで、やがてお互いが疲弊して終わることになります。

本当の意味で人を救いたかったら、まずは自分を救わないといけません。

自分を救うとは自分を癒すこと、自分を愛することです。

以前記事を書きました。

他人や外側の現象に対して、自分は何を思うのか。そのありのままの感情、意識を受け入れて見つめた先に、自分の本心が見えてくると思います。

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