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すべて

この宇宙の真理は、無であり無限だと思う。
その存在のことは感じるが
それがある証拠もそれが何であるかも分からない。

間違いなく思考や言葉自体は有限であり、
それらによって表現しようとする「そのもの」は
形を持たない。ただのエネルギー。

それに服を着せて認識をする。

どんな服を着せるかは自由であるし、
あくまでそれは服でしかない。

そのものではない。つまり、思考や言葉などのそこには何もない。

「あると感じる。あると思う」
それしかない。

起点を感じる。主体を感じる。

我思うゆえに我あり。

あるのかないのかはどっちでもいい。
どっちにしても、
あると思うかないと思うかという話からは抜け出せない。

問いは、あると思うべきかないと思うべきか。

無。無限。言葉にできない。思考できない。理解できない。
始まりもなく終わりもない。論理的でない。
自分にはどうにもできない。

こういう領域を認めるかどうか。了解するかどうか。

こういうと直感的にこういう領域はあると分かる。

だけど、真理がすべてこうだと言われると
素直にうなづけない人も多いかもしれない。

無や無限自体を思考することはできない。
というか思考できないものが無であり無限。

では、真理をどう捉えるか。
どう捉えてもいい。どう捉えたとしてもそれ自体は真理ではない。

僕はループがすごく大事な概念になると思う。
回転。円。循環。繰り返し。フラクタル構造。

僕たちの認識に乗るのはここだと思う。
これ自体は真理ではないが、
これを考えることが真理を知ることになると思う。
真理を体得するという感じか。

決して真理を分かることはない。
だけど、知っている。そういう状態。

神について考えてみたい。

もちろん神と言って言葉にして概念化している時点で
それ自体は本物ではない。

けど、それは全てにおいてそう。
言葉にしていることなんて全て無い。

コップもないし、イケメンもないし、ペンもない。

勝手に僕たちがそう捉えているだけ。
解釈したもの捉えたもの意味づけしているだけ。

それはない。

存在させているだけ。
すべてそう。

というか言葉も結局ループする。
何も言葉では分からない。

それはどういう意味?
と聞き続ければどこに行きつくだろうか。
言葉は有限である。必ずそれは戻ってくるしかない。

言葉の中でいくらたどっても
そのものは決して見えない。

分かったと思うのは、
ただ分かった気になっているだけ。

神もそれと同じ。
神だけ特殊とかじゃない。

自分には分からないし捉えられないなにか。
だけど、分からないし捉えられないものがあるとは分かる。

それが何かは分からない。どんなものかもわからない。

それを神と呼んでいるだけ。

それを無と呼んでもいいだろうし、
無限と言ってもいいだろうし何と呼んだっていい。

無に対して、何か無理やり意味づけをしているだけ。
すべてがそう。

大事なのはその意味付けが意味があるかどうかってこと。
というか意味があるから意味付けがなされる。

神という言葉があるのは、
神と意味づけることで意味があるから。

意味がないものはまず存在しない。

人間にとって意味があるかどうかってことね。

神に関しては、
神を創ることで幸せに繋がると思うから神が作られる。

けど、実際にそれらが人間の幸せに繋がるかはわからない。
繋がる人もいれば繋がらない人もいる。

いや、その時に意味があるものが言葉になっていくから
意味がないわけはないんだ。

今にしか意味はない。

全ては解釈だ。
今どう解釈するか。

それがすべて。

僕たちが認識できるのは有限だ。
認識できると言っている時点で有限。

だけど、その有限の中に無限は存在する。
これは認識ができる。

こう考えると帰納的に
自分に関してもそうだと言えるのではないか。

少なくとも、自分に関して無限がないと断言できる理由はない。

フィクションから脱却しよう。
フィクションから脱却するとはフィクションだと気づくこと。
フィクションを認識できること。

過去もないし未来もない。
というか過去が何なのか未来が何なのか分からない。

未来について思考ができない。
神について考えられないし認識できないし捉えられないのと一緒。

意味が理解できない。
まるで子供に戻ったような感じ。

すべてどういうこと?ってなる。
で、結局説明できない領域までいくか、ループする。
量子とも近いかもしれない。

全ては無である。
始まりも終わりもない。

今が変わり続けるだけ。

全部僕たちは分かった気になっているだけ。
本当は何も分かっていない。
というか分かることなんてできない。
分かるなんて概念すら存在しえない。

けどそのことに気が付いていない。

絶対なんてない。何も分からない。何もない。

今の意志とか思考とかそんなのも分からない。
無から生まれてきてるとしか言えないけど、それがどういうことかは分からない。
あるのはただこの瞬間の感覚だけ。

無限自体を処理することはできないから、
思考が止まる。思考が崩壊する。収束していく。言葉が消える。

けど、何か余韻を感じる。

その余韻しか分からない。
この感覚だけ。この感覚かが何かは知らない。
捉えているということだけ。何を捉えているのかも分からない。

完全な無常感。
諸行無常である。
自分も含めて諸行無常って感じ。まあ自分っての感じないからそういうことでもないんだけど。
ようは、自分の周りは全て移り変わっているんだなって思う状態はまだ完全じゃない。

自分がその一部になる。
というよりそのものになっている。

それは全てとつながっているし、一体になっている。

その中でのこの一瞬が尊い。
瞬間を感じられること。この時だけの。

僕はすべてだ。

いや、すべて。

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