因果関係と前後関係。気象と体調。
ある予防接種の後、重い後遺症で手足が不自由になった。高熱が出て、ある薬を飲んだ後、異常行動で大怪我をした。「だから」その注射や薬は危険である。
そんな種類の言われ方を目にしたことがたくさんある。
そんな場面で「専門的な知識を持つ」人が言うには「因果関係と前後関係を混同しないで欲しい」のだそうだ。
原因があって、その原因が故に起きた事象は因果関係があるとされて、「AだからB」と言える。
前後関係は「たまたま時系列的にそういう順番だっただけで、因果関係は言えない」とされている。
さきほどの例に挙げた注射や薬。治験の段階で丁寧な試験をくりかえすのだけど、先程の文脈では「完全な因果関係」は証明できない。
因果関係があるともないとも言い切れない、そんな状況になるのだ。
同一人物で、状況を揃えて、注射をした場合としない場合を準備できるだろうか?
不可能だ。
その両者の比較ができないのだから、「完全な因果関係」を言うのは難しい。けれど、同時に完全に否定することもできないのが難しいところ。
前置きが長くなってしまったのだけど、ここ数日、体調が優れない。
すごく悪いわけではないのだけど、何も問題ない感じでもない。
はっきりしないと言えばそれまでで、なんとなく優れない。
そんな日が続いている。
自分自身の行動に思い当たる節がないのだけど、強いて言うなら「ここ何日か天気が悪い」のが理由に上がる気がしている。
昨夜、日付が変わる頃に目が覚めた。
22時頃に眠りについたので、これまでの私であれば特に理由がなければ覚醒することはない。
目が覚めた理由は「雷」だ。
音はそうでもないのだけど、光がすごい。
ライブ会場か?と間違えそうなくらい、外がビカビカ光っている。連続で。
気づくと若干息苦しい。胸骨という胸の真ん中にある骨のちょうど裏側くらいが痛い。
雷と痛みが関係するか?因果関係は言えない。けれど事実として痛いし息苦しい。
天気痛とか気象病とかいうものが存在するらしい。
私はこれまで、それらを「脳が作り出した病」と捉えていた。
そういう症状があることはわかる。その症状が生まれるメカニズムも理解できる。けれど、一部の人にだけ起こる理由が説明できない。
だから、そう思い込むことによって生まれる症状じゃないか?と思っていた。ノセボ効果だ。雨が降ると気分が落ちる。そういう種類のものだと思っていた。
思っていた。過去形だ。
昨夜の自分の体調を説明するのに気象環境は合致した。
雷があれだけ発生する雲が自分の上空に存在する。
そういう気圧状況になっている。
そもそも、地球上にいて、大気の大地の影響を受けないと考える方が不自然じゃないだろうか?
具合が悪い時は、発想が弱気だ。
と、いうよりも、人は「理由が欲しいの」だ。
この息苦しさ、胸の痛みは、天気によるものだ。
ここ数日の体調の悪さは、停滞前線がもたらすものだ。
気候が一変したら、自分の体調は復活する。
そう思いたいだけなのだ。
「なんだ天気のせいか。じゃあ、梅雨が明けたら平気か。」こう思えれば安心して休める。
そう念じて、眠りについた。
朝、起きて、不調はよりはっきりしたものになった。
「今が一番低気圧が接近している」「台風がどこかで生まれたに違いない」気候からしてみれば濡れ衣に近いいちゃもんをつけられていると感じるだろう。
もしも、梅雨が明けたのに私の不調が続いていたら、停滞前線や雷雲は冤罪になるか?
朝はつらかったが、午後には少し持ち直した。
空が明るくなっていた。
雲が移動したのだ。やはり天気のせいだ。
私は弱気になっているのかもしれない。
私も立派な気象病患者か。
とは言え、自然環境から受ける影響を無視する生き方をしたくはない。むしろ、地球のサイクルに同調したリズムで生きられる自分を「自然である」とか称えてみよう。
少し前向きになってきたか?
地球のサイクル、リズムと同調する状態を「自然」と表現するのであれば、そうでない状態は「不自然」と呼べばいいのか?
昨今の人々の思考や行動は「不自然」に向かっている気がする。
自分以外の誰かを心配することで、自分の優位性を保ち、安心したいのだろう、私は。やはり、弱っているのかもしれない。
雨は嫌いじゃないのだけどなあ。
むしろ晴れが続くと不安になる。
程よく交互に来て欲しいものだ。晴れと雨。
ところで、私の体調と天候の関係の話は因果関係を証明できず、前後関係でこじつけた、自分を安心させるためだけの文脈です。
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