合意形成は最初から不可能という前提
久しぶりに実家の父から連絡を受けて、実家へ。
お互いに持病持ち(私は中耳炎)だから、近況報告というか不健康自慢というか、伝え合っていました。
世相が世相だけに、話は自然とCOVID-19の話に。。
「ワクチン打ったのか?」と聞かれたので「まだだよ」と答えると「なんで打たないんだ?」と返ってきました。
父はすでに2回接種が完了して数ヶ月が経過しています。特に目立った副反応もなかったようです。
私は、自分の年齢とその他の関連因子と生活パターンなどから判断して、「急いで打つほどのものでもない」としていました。
事実、国内外の報告から、この度のワクチンは「感染予防」から「重症化予防」にシフトしていっています。
で、あれば最優先で打った方がいいのは重症化リスクの高いグループであるのはわかります。自分は重症化しない、と思っているわけではありませんがその可能性は高くないと見積もっています。
防御の必要度が高い人は、ワクチン接種によって重症化を防ぐという個人戦術の問題になっているのが現在地だと思っています。私はワクチン接種自体は否定していません。自分も様々なワクチンを打ってきたし、最近で言えば数年前に風疹のワクチンを打ちました。
自分の子にも数種類のワクチン接種の判断をしています。
けれど、今回のはまだ判断のためのデータが欲しいので、決断に至っていないのです。打つかもしれないし、打たないかもしれない。その判断のタイミングじゃない、と私は思っているのです。
父と話していても、様々な点で相違がありました。
実の親子でも、元にしている情報が違えば意思決定が異なります。
同居家族ですら意見は合いません。
国民的に合意形成するのは無理なのです。不可能です。
国民的な合意形成は不可能である、という前提に立てば、意見が合わない人への攻撃は生まれないと思うのですけど、「生きとし生けるものは全て自分と同じ意見じゃないとダメだ」と思われているのでしょうかね?
でもまあ、近しい存在とは同じ意見でいたい、のはわからなくもないです。
だからといって攻撃はねえ。。。
私はコミュニケーションに難あり、なので意見が違えばそっと距離を取ります。どの程度の距離を取るかは相手を見ながらになるでしょうけど。
違ったっていいじゃない。
父とは同意見な部分もあるので、「それはそれ」で話が進められます。程よい距離がそうさせるのでしょうね。物理的な距離は重要かもしれません。
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