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邂逅と憧憬、あるいは生きる道標

若い時分に出会い、その後の生き方に大きく影響することとなった本がいくつかある。何回も読み返し、気に入った節を諳んじ、作品の中でうたわれたうら寂しい風景を実際に眺めて、作者と想いを重ねた。そんな作品が僕の中に居ることを幸せと感じているし、結局それらの本たちに導かれるようにしてここまでの人生を生きてきたような気がする。あれからずいぶん遠くまで歩いてきたけれど、いつも僕の傍らには北杜夫さんの本があった。



「幽霊」と「どくとるマンボウ青春記」は作者自身の幼年期と青年期を色濃く映し出した北杜夫さんの代表作だ。「幽霊」はいわゆる純文学、「マンボウ」シリーズはエッセイとカテゴライズされることも多いけれど、この二作は表裏一体の同質なものを含んでいる。それは憂いであったり郷愁であったり寂寞であったり憧れといった種類のもの。そして心の静謐にいくらかの風紋を起こす類いの、薄暗い夕景にため息をつきたくなるような、そんな何かを。



「幽霊」は戦後の旧制高校生である「ぼく」が幼い頃の追憶を辿っていく物語。清らかな山脈や、かつての日本にはどこにでもあった田舎の寥々たる風景が描かれる中で、静かな美しさに魅了されながら、幼年から少年へ、少年から青年への魂の遍歴を味わう叙情詩。

「どくとるマンボウ青春記」は作者の旧制高校進学から大学時代に至る文字通り青春の記録。青春とは端から見ればおかしみや滑稽さに満ちあふれていて、それでいてどことなく悲しくて、だから美しい。ひたむきに生と向き合い続けた青年が、遂に文学への一歩を踏み出そうとするまでの物語。父茂吉の訃報に接し、完成間近の「幽霊」の原稿を携え、汽車で帰郷するラストが印象的だ。

僕は北さんのこれらの(だけではないが)本と自分の人生とを重ね合わせるようにして、生きてきた。だから僕の辿ってきた足跡にはどこかしらに北さんの活字が刻まれている。



僕が憧れてやまない北杜夫さんにほんの一瞬と言っていいような短い時間だったけれど、出逢うことができたのは、僕のほのかな願いがかなった瞬間だった。北さんが亡くなられる三年前のことだ。北さんのライフワークでもある、昆虫についての展覧会「どくとるマンボウ昆虫展」が全国各地で催され、北さんの人生に大いにゆかりのある僕の住む街でも、それは開催された。

あろうことか公式記者会見の場でマスコミの質問が一区切りしたときにー一般ですがーと断りを入れた上で、僕は思い切って挙手してこんな発言をした。

ーー北先生の文学に憧れて、先生の作品が大好きだったから、神奈川の出身だけど先生が青春を過ごされ、作品でも描かれた信州に移り住み暮らしている。そして先生も愛されたドイツの文学を学んだ。今は文学とは何も関係のない仕事をしているが、こんな私にメッセージをーーー

きっと困惑されたことと思う。だいぶ省略しているけど、思いが有り余って自分のことばかり。会場からは思わず失笑。でも北さんはこんなふうに返してくれた。

ーーー憧れは頭の片隅にでもずっとお持ちになられたほうがいいですよ。ーーー



答えはなんでもよかった。端から返事がもらえるなんて思ってもいなかった。僕は言葉に詰まりながら照れ笑いを浮かべ、感謝の言葉を述べた。

ひそんでいた涙がこぼれおちた。ずっと両の手に抱え大切にしてきた想いが、そのときあふれた。

高校生の頃から作品に傾倒し憧れ続けた人物と数十年の時を経て同じ空間で言葉を交わし、僕という個人に対して言葉をくれた。こんなにも胸を打つ出来事は、それまでの僕の人生にはなかった。



この街の凜とした空気を吸い込んで、白く輝く山なみを眺めていると思い出す。僕が「幽霊」という本に出会い、いつか人間の魂の物語を書きたいと願った十七のころのことを。その気持ちは強くなったり弱くなったりしたけれど、今も変わらず心の片隅に炎を灯している。北さんが亡くなられた今となっては、僕の作品の感想を伺うことはもう叶わないが、いつの日か心から納得のいくものが書けたなら、それが売れようが売れまいが北さんの墓前に手向け、感謝の言葉を捧げたい。自分にとって大切にしてきた憧れが、芽生えたことも形に出来たことも彼のおかげなのだから。

その時もしかしたら僕はもう老齢に達しているかもしれない。けれど、それでもどうしてもやらなければならないこと、そう思っている。





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