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【随筆】花火大会

 3年ぶりの花火大会が地元で開催された。義実家の軒先から、空いっぱいに広がる光の華を見る。生まれて初めて花火を見る息子は、怖がる様子もなく、興味津々といった睛で夜空を見上げ、時々嬉しそうに笑って私の貌を見ていた。

 その笑顔を見て、一瞬胸がざわつく。
 
 そもそも私は、こんな風にお祭りを楽しむ事自体に、どこか居心地の悪さを覚えるたちだ。お祭りにしろ、年中行事にしろ、そこに参加することに、何故か後ろめたさを感じてしまう。それが、行事という事象の社会的側面を個として過敏に感じ取りすぎているせいなのか、それとも、転校の洗礼を受けて以来の集団的価値観に対する恐れによるものなのか、ただ単に、同級生のように外出がままならなかった学生時代を過ごしたことによるルサンチマンなのか、それは判らない。
 けれど、こういう行事ごとというのは一見安定した普遍的存在のように見えて、実は、生身の個々人にとっては、多種多様な反応を生み出す混沌とした存在なのだ。当たり前の貌をして当然のように毎年現れるけれど、計り知れない闇も光も包含している、気味の悪い存在。

 最後の花火が華々しく連打される。
 その迫力に微笑む息子の、柔らかな頬のふくらみが、色とりどりの光にぼんやり浮かぶ。

 願わくば息子には、たかが花火大会で人知れず鬱々と懊悩するような、私のような根暗な人間にはならないでほしいと思う。根暗な私の横で彼が天真爛漫に笑うたび、そう願ってやまない。

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