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Eric Dolphy、James Spauldingのフルート

今回「ジャズ・フルート」という観点で記事を書いてみようと考えたのだが、程なくして頭に浮かんだのが、先日久しぶりに再聴していたフレディ・ハバードの「Hub-Tones」(62年 BLUE NOTE)だった。ここのジェイムス・スポールディングは素晴らしかった。スポールディングは、エリック・ドルフィとほぼ同じ時期に出てきた人だ。60年頃の事だ。使用楽器が共通するうえ、コネクションも同じ(フレディ・ハバード繋がり)なのだが、二人のつくる響きはまたなんと違っていたか。

1960年頃、ドルフィは突如として大都会ニューヨークに姿をあらわし、そこから未知の原野の涯まで果敢に、熾烈に攻めていった人だ。スポールディングはそれとは違う。都会的な、甘い退廃の匂いがある。アルトとフルート、どちらからもその印象を受け取れる。アルトは少しオーネット・コールマンを連想する響きだ。そして、メロディアスというのとも少し違っている。当時これは斬新に聴こえたと思う。

ドルフィとスポールディングは、少なからず共通点を持った人達である。が、両者のディレクションは夫々べつのところを向いていたのだ。ドルフィが登場した直後、シーンにあたえた茫然としてしまうような衝撃を想像できる。スポールディングは、このドルフィの圏内に引き込まれてしまう事はなかった。スポールディングもまた確固たるところを見ていたようだ。ドルフィはここから、足を止めずに突き進んだ。かれの吹奏は、自分の体とか生命とか、もうかえりみていない構えだ。ドルフィの音楽を聴いていると、まるで燐が発光するような燃焼を見ている気になる。そして四年後、「アメリカから遠く離れて」、独ベルリンで彼は客死した。

ハバードの「Hub-Tones」を聴くと、この作品は今なお色褪せもせず、古びもしない。どうしてだろうか。作品が終末的な雰囲気に染まっている。冒頭のスタンダード曲“You're My Everything”からそうだ。ウェイン・ショーターから受けた影響がハバード達にあったかもしれない。今この、2023年という時代に「Hub-Tones」の雰囲気が不思議に重なっていると感じる。

ここで特に取り上げたいのが、二曲目“Prophet Jennings”だ。この記事を書くために何度か聴き返していた。ハバードがミュートを付け、スポールディングがフルートを使う。この曲は、実はエリック・ドルフィと関係している。Prophet Jenningsというのは、本名をRichard Jennings(1922-2005)という、知る人ぞ知るニューヨークの黒人前衛画家だ。ドルフィの処女作「Outward Bound」(60年 New Jazz)や、間髪いれずに吹き込んだ前衛的な「Out There」(同上)のジャケットイラストを手掛けていた。Prophet(予言者)という渾名をつけられていた通り、暗示的な画風で終末感の色濃い絵を描いている。“Prophet Jennings”はこんなジェニングスの描く絵の雰囲気をうまく曲調(とソロ)で表現している。

この曲を、若し、ドルフィがフルートで吹けば、彼がどんな演奏をしただろうかと考える。ドルフィ自身は生涯で取り上げた事はない。

ジャズ聴者は残されたドルフィの演奏をいろいろなセッティングで聴いているので、いくらか想像できる気がする。パーカーのように旋律を歌い上げそうになる、その寸前で音を断ち切り、そのまま曲ごと破壊しかねない。ぎりぎりの場所に留まり続けながら、曲とビバップの語法と熾烈な自己表現の狭間で引き裂かれている。ドルフィはそんな危うい地点で飛翔していっただろう。

スポールディングは、この曲を吹き込むとき、曲とドルフィとの繋がりをやはり意識はしていたと思う。自分の立っているポジションがドルフィのシルエットと重ならざるをえない。かれはドルフィの様に吹いていない。熟れてそのまま地に崩れ落ちる、ぎりぎりの果物のような甘美なフルートの響きをつくっている。

60年頃のジャズ・シーンには大きなドラマがあった気がする。もっとブルースそのものに近いオーソドックスな人々が居り、彼等の活動も小さな(だが充実した)シーンを形成していただろう。一方でこういうハバード、ドルフィ、ショーターやスポールディング達ジャズ史の最前線に立った若者がいた。何かジャズが、ビバップや古典時代から大きく変化していく、地殻変動みたいな時間がここにあったかもしれない。60年頃の作品は、ジャズが多様化しつつ混沌としていく、その兆候が窺われるものがいろいろとある。