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あなたの物語が、生まれる瞬間

私は、「ニュートラルなこの世界を、それぞれの人がどう見ているか」ということに、とても興味があります。

「すべては、ただ在る」状態をどう見るのか?
どんな景色がその人に見えていて、どう思っているのか。

そして、完全に理解することができない寂しさを感じつつ、同時にその人の景色を想像する楽しさにも興味を覚えます。


そんなことを考えているときに、じゃあ、いつ個々の物語が生まれるんだろう?という疑問を抱きました。

なので、何も考えていなくて、どんな感情も沸いていないニュートラルな状態をスタート地点として、自分の心を注意深く観察することにしました。

観察なんて立派な感じに聞こえますが、なんのことはない。ニュートラルな状態というのは長く続く訳ではなく、良くも悪くも、振れ幅の上下は色々あるにしろ、心はアップダウンをしょっちゅう繰り返しています。

そして、少しでも心が動くとき、その瞬間に物語はすでに生まれていることに気づきました。


小さな動きは積もり積もって、後になって、自覚があるくらいの現実として現れ、大きな動きはその瞬間に自覚を伴い、何かしらの身体的な反応を起こしているんじゃないかな、と思います。


例えば、誰かと待ち合わせをしていて、あなたが待っていたとします。
相手から何も連絡がないまま、30分が過ぎました。さて、ここでどう思うかは人それぞれ。

「何かあったのかな?心配だな。大丈夫かな?」
→ソワソワして落ち着かなくなる

「私を待たせるなんて、どういうつもり?」
→イライラして怒りが沸いてくる

「そのうち来るだろう。気長に待ってみよう」
→あまり変わらず


そう、物語は、それぞれすでに生まれていますよね。

どうして、人によってこうも感じ方が違うのかは、今まで生きてきた環境、個々の経験などによることが多いと思いますが、こういった後天的な原因によって生まれた物語は、反射というか、後付けというか、どうも本質的ではない気がするのです。

生まれたままの特質を、純粋な状態で保持していて、そのまま表現したときに何が生まれるのか。何も生まれないのか。でもきっと、それはそれは素敵な世界が創造されるはず。

自分でも何が生まれるのかは分からないけれど、なるべく純度100%に近い表現を目指して、余計なものを削ぎ落としていきたいな、と思う今日この頃です。

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このnoteでは、わたしから見える景色を綴っています。
読んでくださった方の心に止まり、また違う景色が広がったら嬉しいなと思います。

よかったら自己紹介を含めたこちらもご一読ください。
「わたしの景色」







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