vctから考える、グローバリズムとナショナリズム~「日本はEスポーツが弱い」を添えて~

グローバリズムの内包とナショナリズム


バイト中にちょくちょくyoutubeを開いてvctを観戦していた。優勝はリベンジを果たしたNORTHEPTIONであった。最近友達から誘われてヴァロをやっているアイアンの自分からすればすげー、両方つえーという感想しか抱かなかった。すげー、つえー。

ところが、この優勝に水を差すかのようにコメ欄は、じゃがりこはサラダ味が一番おいしいという事実がごとく当然のように、、、荒れていた。もはや驚く必要もない。そこで特に目に留まったのは、NORTHEPTIONは韓国人を入れている、というものであった。もちろんヘイトスピーチは論外である。が、そもそも日本地域の大会に韓国人がいることに純粋に疑問に思った方もいるだろうし、私もその一人である。調べたところ、先発メンバーの中で2人までは日本人以外を入れてもいい、ということらしい。

確かにこれは不思議な話である。ヴァロラントの世界大会は各リージョン別に分かれており、日本リージョンと韓国リージョンはそれぞれ分かれているのだから、(特に日本リージョンは日本1国だけの地域なのだから)その国の人間だけ出せばいい、という意見が出てもおかしくはない。同じように、地域ごとに選手を出すスポーツ、というか祭典としてはオリンピックが挙げられるだろう。自国の代表に別国籍の人間が選ぶことはできないし、感情的にも納得できないだろう。

ではなぜそれが認められているかと言えば、この大会は「人」ではなくあくまで「地域」の中で選ぶものであるからだと考えられる。日本、韓国以外では、NA、ヨーロッパ、APACなど、もっと大きい単位でのリージョンもある。その地域での最強を決める、というコンセプトであり、そのリージョンがたまたま日本という枠であるというだけの話だ。だから別国籍の人がいても問題ない、という意見である。サッカーのクラブ世界一を決めるクラブワールドカップのようなものだ。ところが、それでも矛盾がある。それならばなぜ日本人を過半数取らなければならないのだろうか。別にそんな枠を撤廃して、日本内で最強のチームを作ったほうが全体のレベルは上がるだろう。もちろん、それは多くの人が反対するに違いない。VCTJPの決勝でアメリカ人5人VSカナダ人5人の戦いを見たい、という人は少ないだろう。

そこに、我々が持つある感情が意味を持つ。それこそが、「ナショナリズム」というものである。

なぜ我々はオリンピックで見ず知らずの日本人選手を応援、少なくとも注目するのだろうか。それは、我々が日本人であるが故である。日本という同じ国家、共同体であるという記号が、我々に日本人選手に対する注目、親近感を与えてくれるのだ。日本人が世界のすげーやつらを倒して金メダルを取るとニュースになり皆が喜ぶ。それは、まぎれもなく我々にナショナリズムも精神があるからだ。他の国と競い、勝つと観衆が湧き上がる、ナショナリズムそのものである。無論、それはVCTでも同じである。レイキャビクでZETAは世界3位をとり、多くの人を虜にした。それはなぜか。今まで散々辛酸を舐めてきたEスポーツ ジャンル:タクティカルシューターにおいて、世界の強豪を倒して駆け上がったからだ。実際に実況の方も「『日本代表』ZETA DIVISION」と連呼していた。日本代表を応援するという精神は間違いなく持ち合わせているだろう。そのほうが盛り上がるし。

ここから導き出される推論は、この、別国籍2人まで規定は妥協の産物であるということだ。あくまでその「地域」の大会であるから、人が誰であろうといい。ところが、そのリージョンの人間がいない、あるいは過半数を超えると、どこの「地域」でやっているか分からなくなるし、なによりその地域のファンが見ていて興ざめになってしまう、すなわちそのゲームの衰退につながるから、別国籍の人間を入れる、――しかし過半数は超えない程度に。ぐらいのラインが、5人中2人なのだろう。私も1,2人くらいが適切であると思う。人の感情に寄り添った、ちょうどいいバランスではないか。肯定するべきルールだと考える。

よくそのような人を「外国人助っ人」と表現することがある。日本では野球が盛んで、野球でそのような表現をすることが多いから、VCTでも比較的容易に受け入れられるのだろう。他のスポーツと比較してみると、野球は31人中5人、サッカーは18人中5人であるから、やはり前述のラインが適切なのだろう。もちろん、野球やサッカーのチームは日本代表ではないという違いはあるが。そこまで気にする人は少ないだろう。
ちなみにVALORANT グローバル競技ポリシーには、
「国際競技における各チームの地域性を維持し、ファンやスポンサーにとって重要 な地域性を推進するために、各チームは、公式競技期間中を通じて、先発ロス ターのうち少なくとも3人については自らの国・地域の居住者(以下で定義しま す)で構成しなければならないものとします。さらに、公式競技に参加するチー ムのプレイヤーのうち少なくとも4人は自らの国・地域の居住者で構成しなけれ ばならないものとします。」とある。(出典:https://valorantesports.tokyo/stage2/pdf/Global%20Competition%20Policy%20JPN.docx.pdf)やはり運営も、地域性によるファンの盛り上がり、それに伴うスポンサードを強く意識していることが分かる。

本来ゲームというのはグローバルであるものだ。世界の垣根を越えて人とつながることができるし、海外のゲームをプレイするということは、まさにグローバル化が進んでいることを表している。人種にはこだわらないはずだ。ところがそのゲームで地域ごとの代表を決め、世界大会を行うと、我々がもともと持っていたナショナリズムというものに気づかされる。グローバリズムとナショナリズム、この一見相反する(実は両立できなくもない)概念に我々は現在、挟まれているのだ。その違和感こそがあのyoutubeのコメ欄なのだ。(もちろん人種憎悪も含まれている)
ヒトモノカネが他の国へ行き来し、インターネットが世界中に張り巡らされ、国家という共同体の意味が少しづつ薄れてきているのに、国家という共同体にアイデンティティを求める。それこそが現在起きている事実である、その矛盾(にみえるもの)に苦しむ人もいるというのが私の考えである。何の話をしてたんだっけ。そうだ、Eスポーツだった。とんでもなく脱線してすみません。

日本はEスポーツが弱い?

そういえば、日本はEスポーツが弱いと言われる。最近はヴァロのZETAやAPEXのUNITEなど強いチームが出てきたが、少し昔はタクティカルシューターでかなり差があったと聞く。また、LOLなどで知られるMOBAも差があると聞く。確かにこれだけ聞くと弱そうに聞こえるが、実際そうではないと考える。結論から言えば、「日本はesportsが弱い」というより「esportsとして世界的に発達しているジャンルでは弱いものが多いが全体としてはそこまで差異がない」と考えている。
日本が強いEスポーツだっていくつかある。例えば格ゲー、ポケモン、遊戯王、シャドバ、ポケカ等各種カードゲーム、ぷよぷよ、スプラトゥーンなどだ。
いずれも共通しているのは、ゲーム機(主に任天堂の)やスマホで慣れ親しんだ、知名度が高く、人口の多いゲームであるということだ。一方でスプラ以外のタクティカルシューターはパソコンが主であるし、MOBAはほぼ流行っていないいない。日本では親が子供に買い与えるゲームとは信頼のおける任天堂のゲームであるし、学生時代にやるのはソシャゲやTCGで、ゲームセンターには格ゲーが置いてある。世界で流行っていて、競技シーンが盛んなジャンルだけ、見事に外れている。もちろん、主流なゲームで弱ければ意味がない、と言われてしまえばそれまでだ。しかし、ゲームの流行り廃りで差異をつけるのはあまり好ましくないように感じる。ゲームとは金を稼ぐためのものというより、楽しむためのものであるからだ。(任天堂のゲームで多額の賞金を出さない理由はそのあたりにあるらしい 出典:https://www.nikkei.com/article/DGKKZO37348520T01C18A1EA5000/
であれば、日本がEスポーツが弱い、とは一概には言えないのではないだろうか。

LOLが盛んな韓国で、韓国人がLOLに割くリソースが、日本では任天堂ゲーやソシャゲなど他のゲームに割かれている、というだけの話の気がする。それを止めることはできない。もっとも、ZETAやUNITEの躍進でタクティカルシューターが流行って人口や人気が増えれば、間違いなく世界で流行っているEスポーツでも通用するようになるのではないだろうか。


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