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キャンセルカルチャー:ホーリーランドのその先に

キャンセルカルチャー:著名人をはじめ特定の対象の発言や行動を糾弾し、社会的制裁を加えて排除しようとする動きのこと。

東京オリンピック開会式の楽曲を担当する小山田圭吾氏が過去に雑誌上でいじめ加害を告白、その凄惨な内容に激怒した日本人が彼の辞任を求めている。一部でこれを「日本版キャンセルカルチャー」とする向きもあるが、同意しかねる。米国のキャンセルカルチャーは、その暴力性や社会的背景を鑑みても今回の抗議運動とは比べものにならない。

米国で日常的に起きている「キャンセル」の内容を理解していない日本人が安易に「キャンセルカルチャー」という言葉を多用するのは、その私的制裁運動の旗手であるサヨク陣営に「お前らだってボイコットくらいするだろう」と反撃材料を与えることになる。実際に米国保守による特定企業や商品への抗議運動が起きるたびにサヨクが「保守版キャンセルカルチャー」などと揶揄し、言葉の線引きを曖昧にすることで社会に容認された手法であると誤認させ、残虐なキャンセルカルチャーの本質をを矮小化する様がよく見られる。

サヨクは器用に言葉を操り、大衆を誘導し、社会を変えていく。現代保守に欠けているのは「言葉を制する者が文化を制し、文化を制する者が政治を制す」という意識である。ジェンダー、ダイバーシティ、サステナビリティなどのキャッチーかつ曖昧な言葉が、我々の生活にどう影響してきたか。よく考えて欲しい。そもそもこれらの「リベラル用語」を保守派も使用している時点で文化戦争に負けているのである。この「サヨクの土俵で相撲を取ることに鈍感な保守の姿勢」は米国保守論客のBen ShapiroやMichael Knowlesも度々言及している。ちなみにMichael Knowlesのベストセラー新刊"Speechless: Controlling Words, Controlling Minds"は、いわゆるポリコレという言葉の語源からANTIFAの意味に至るまで、いかにサヨクが言葉の色を変え形を変え大衆洗脳の武器としてきたかを鮮やかに記した名著だ。

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さて本題に移ろう。今回の記事は、米国リベラル左派言論人のBari Weiss(バリ・ウェイス)による新しいポッドキャスト"Honestly with Bari Weiss"の初回エピソード”American's Cultural Revolution(アメリカの文化大革命)”を参照している。クウェートで二級市民以下の存在として虐げられ苦しい生活を送ってきたパレスチナ移民が、米国に渡り家族経営のビジネスで大成功を収め、しかしその栄光の絶頂で過去のツイートを発掘され社会正義の名の下に「キャンセル」されてしまう話だ。苦境にもめげず上を向く彼らのスピリットと、タイトル通り実直で飾りのないバリ・ウェイスの取材姿勢に、彼女のポッドキャスト進出は多くの人に歓迎された。

バリ・ウェイスを知らない人のために少し説明すると、彼女自身も壮絶な「キャンセル」の被害者である。なので復帰作のポッドキャスト第一弾にキャンセルカルチャーを選んだのは至極当然だ。彼女は2013年から2017年までThe Wall Street Journalで活躍し、その後トランプ前大統領就任に合わせ「様々な思想を持った識者のオピニオンで紙面に深みを持たせる」という指針を打ち出したThe New York Timesに入社する。しかし彼女は同僚による「ハイスクールのカフェテリア」のような同調圧力や集団いじめ、Twitter上のモブに編集権を明け渡したかのような編集部の姿勢に直面し、苦悩する。党派性に囚われない彼女の記事は、ジャーナリズムを捨て活動家と化したスタッフ達に攻撃されるようになる。「また親イスラエルの記事を書きやがって」「レイシスト」「ナチス」「極右」…Twitter上で同僚のジャーナリスト達に言葉尻を捉えられ炎上を仕掛けられ、社内グループチャットでは耐え難い誹謗中傷が続き、彼女の名の横には斧や首吊り紐の絵文字が踊った。ガチガチの思想統制と全体主義が社内を支配し、ある者は同僚の発言を盗み聞き、ある者は告げ口や裏切りで社会正義ポイントを稼いだ。ユダヤ系であり、バイセクシュアルであり、無党派リベラルを自認し、反トランプを公言する彼女でさえ、サヨク活動家の巣窟NYT社に留まるには「自由な思想の持ち主」過ぎたのだ。バリを引き抜いた上司ですら社内のモブに屈し、彼女を庇ってくれることはなかった。2020年7月、コロナと大統領選で報道合戦が過熱し全米が暴力とヒステリーに包まれる中、バリ・ウェイスは辞表を提出しNYT社を去った。このNYT社の歪んだ内部事情を露呈させた辞表は大きな反応を呼び、キャンセルカルチャーの根深さを憂慮しジャーナリズムの没落を批判する声がネットにあふれた。

そんな彼女の友人Majdi Wadi(マジェディ・ワディ)が今エピソードの主人公である。彼はパレスチナ難民としてクウェートで生まれ育った。難民に人権が与えられる国は米国やカナダのような先進国に限られる、とワディ。クウェートでパレスチナ難民は二級市民以下の扱いを受け、学校の授業は別々に受けされられ、どんなに優秀な成績を収めても大学進学もできなかった。ワディは就労許可をサポートしてくれる雇用先を見つけられず、国外退去を余儀なくされたため、ヨルダンで2年間の兵役に就いた。その後3年間の無償労働。その間に母親が米国に送ったワディの弟は小さな店を任せられており、1992年、ワディも米国に移住する。

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「移民の経営する店は同胞の移民相手にしかビジネスをしない。我々の美味しいフムスをもっと多くのアメリカ人に知ってもらおう」というワディの考えから、彼らの食料品店「ホーリーランド」はスタートした。「我々がパレスチナ人だからホーリーランドと名付けたんじゃないよ。全ての人が家族なんだ、ユダヤ人もキリスト教徒もムスリムもそうでない人も、みんなひとつになれる場所なんだという想いを込めて付けた名前なんだ」とワディが語る。

「ホーリーランドが全ての人に平和な場所であるように」というワディの願い通り、彼のビジネスは瞬く間に年商数億円規模に成長する。彼らは母国に住む家族を呼び寄せ、デリ、フムス工場、スーパーマーケット、ベーカリー、ケータリング事業と、どんどん経営を拡大していった。200人あまりのマイノリティや移民を雇用し、その多様な従業員に「国連」とあだ名がつき、その総長であるワディも地元のミネアポリスで人気となった。

ミネソタ州ミネアポリス—それは2020年の5月に起こった。ジョージ・フロイド事件である。「警官の膝の下で息絶えたのは我々だったかも知れないと、ショックだった。悲惨な映像に向き合うのに数日掛かった」とワディは振り返る。何度も家族で話題にした。特にワディの娘リアンは激しい憤りを覚えたようで、毎夜プロテスター達と通りを行進して正義を訴えた。ホーリーランドは店頭にBLACK LIVES MATTERの看板を掲げ、プロテスター達に食事を提供した。地域と一つになり悲しみを共有し、社会正義のために共闘している実感がそこにあった。

しかし事態は急変する。娘のリアンがまだ16歳の時に投稿した人種差別的なツイートがどこからか発掘されたのだ。問題のツイートはリアンがクラスでたった一人のムスリムであることや思春期の葛藤に悩んでいた頃のもので、書き込みはなんと2012年、そして数年前に削除されていたものだった。しかし米国にはクラスメイトの失言動画を数年温存し、その子の大学推薦入学が決まると同時に拡散させて成功を阻んだ「キャンセル」のケースもあるから、ネットに書き込むというのは恐ろしいのである。リアンに恨みを持つ者か、あるいは同業のライバルか—それは今でもわからない。ともかく彼女のレイシストなツイートは瞬く間に拡散され、群衆の怒りが一斉にワディら家族に向けられた。

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「弁解の余地なんてない。本当にとんでもないツイートだ。しかし同時にこれは我々家族やリアンを代弁するものではない」とワディ。リアンは地元テレビに出演し、カメラの前で涙ながらに謝罪した。「この恐ろしいツイートをした時、16歳のわたしは今と違うところにいた。全く酷いジョークだと猛省し数年前に削除した。8年前の自分は今と同じ人物ではないし、わたしの家族も到底これを容認するような人達ではないとわかって欲しい。本当にごめんなさい。」

しかしネットでは既にホーリーランドをボイコットする空気と、ケータリング事業を統括していたリアンをクビにする要求の声が高まっていた。「父親として、またCEOとして辛い決断だった。父親としてわたしは本当のリアンを知っている。しかしCEOとして189名の従業員を守らねばならなかった。」ワディは事件の沈静化を望み、リアンを解雇した。

しかし一度燃え出した社会正義の炎はあちこちに飛び火する。プロテスター達は工場や店舗に訪れ従業員を撮影したり、嫌がらせを始めた。「一度レイシストとバレたら、それから逃れる術はないんだよ」とプロテスターがカメラを向ける。ワディ達の自宅がネットに公開され、暴徒達がけしかけられた。ワディは家族を安全な場所に避難させざるを得なかった。ホーリーランドのフムスを取り扱っていたコストコやターゲットなどの大手量販店も、騒動に敏感に反応した。あれよあれよというまに契約は次々打ち切られ、一方的な取引停止が相次ぎ5億円以上の損失を出した。「話をさせてほしい」というワディの懇願に応じた企業はなかった。

テナント契約を結んでいた大家にもリースを打ち切られ立ち退きを命じられた。一番大きな店舗だった。弁護士は訴訟すれば勝てるとワディに助言したが、ワディはそうせずその店舗を畳んだ。同じ敷地内にある他の個人商店にも迷惑がかかることを恐れたのだ。「どうして?」とインタビュアーのバリは驚きの声を上げた。「暴動や放火、略奪の中心地だったんだ。ホーリーランドがそこにあれば、周囲の店も攻撃される。我々と同じ移民や個人事業で必死にやってきた人達の店だよ。保険だってないような彼らのビジネスを、我々のせいで台無しにするわけにはいかなかったんだ。」

ホーリーランドの売り上げは激減し、ワディは従業員の解雇を余儀なくされる。まずはフムス工場から69名。暴徒の襲撃を恐れる者、ワディら家族に憤る者もいた。20年以上ホーリーランドに尽してくれた従業員もいた。そしてほぼ全員がマイノリティだった。インターネットはこの大量解雇に勝鬨を上げたが、ワディは怒りを含んだ声で言った。「彼らはただ真面目に働いてくれただけで、何の責任もなかった。」バリはこれを「collective guilt (集団的責任)」と表現するのだが、これは一般にナチスの蛮行に対する現代ドイツ人の罪の意識などを指す。日本語で言うところの「連帯責任」がしっくりくるかもしれない。暴徒はホーリーランドに連帯責任を強要したわけだ。

ワディは憤りを隠さない。「怒りは理解する。ただ真実を見て欲しい。彼らがわたしをレイシストと呼ぶ時、彼らは我々がフムスの売り上げの一部をアフリカに寄付して学校を建てていることを知らない。スーダンの難民キャンプを支援していることも知らない。100人以上のアフリカ人がホーリーランド基金で大学に行っていることも。誰も知らない、我々のフムスが一つ売れるたび25セントがNGOに行く。30年近くこのコミュニティに貢献してきたつもりだ。それがティーンエイジャーのツイートひとつで、8年前のたった一度の過ちで、全てが否定されてしまうのか?」

暴徒は街中に、そしてネット上にもあふれている。そして常に連帯し監視の目を光らせている。当初はワディを庇ってくれた人達もいたが、モブ達の攻撃の前にいずれ皆、口を閉ざしてしまった。「それが何より恐ろしいんだ」とワディは声を少しつまらせた。「こんなのはアメリカじゃないよ。」

「クウェートやヨルダンにいた時、政治の話を友人としたければこっそりと耳打ちしあう必要があった。後進国ではそうなんだ。いつどこで誰が監視しているかわからない」とワディが言った時、わたしはどきっとした。これはリベラル州に暮らすトランプ支持者として、常日頃感じていることだからだ。「政治の話を堂々とできない」「トランプ支持のスティッカーや旗を飾れない」「初対面の人に政治スタンスを探られるのが怖い」とわたしは何度もTwitterで吐露している。ただ普段はその抑圧に麻痺しているのだ。ワディのような難民があちこちの不安定な政情下で経験してきた全体主義的な監視社会や思想統制が、自由の国アメリカに侵食している。なんという皮肉だろう。

バリは、「あなたと同じようにとは言わないまでもキャンセルされたり、この空気に苦しんでいる人々に言いたいことはある?」とワディに尋ねた。「うーん、難しいな。でも強い心を持って。戦い続けなきゃダメだ。口を閉ざしたらダメだ。これは娘のリアンにも毎日言っているんだ。」リアンは先月ようやく再就職先を見つけた。とあるレストランのマネージャー職だ。嬉しそうに仕事へ向かうリアンを見届けたのも数日、彼女は解雇されてしまった。誰かがレストランに告げ口をしたらしい。「お前のところはレイシストを雇うのか?」

キャンセルカルチャーは理不尽な死刑宣告だとワディは例える。法治国家では罪を犯せばそれに見合った刑期が言い渡され、罪を償った者は出所して新しい出発が許される。しかしキャンセルカルチャーは違う。スピード違反をした者に容赦無く銃口を向ける。そこに釣り合いの概念はなく、罪の大きさや動機や反省が考慮されることも「ゼロだ」とワディがキッパリ言う。「そんなのって…腹立たしいし、悲しいわ」バリの声が涙で震えている。彼女はNYT社での辛い日々を思い返していたのだろう。

「リアンは来月ロンドンに移住するんだ。ここにいればいつまで経ってもモブに追われる。彼女はホーリーランドのこと、解雇された従業員のこと、我々のこと…全てに対して責任を感じている。どうすればいいの、と毎日自問している。わたしが悪かった、ごめんなさいと自分を責め続けている。精神的にもとても疲弊していて心配だ。こんな彼女になんて言えばいい?『アメリカは自由とチャンスの国だ、なんだってできるんだ』と言ってやりたいのに。」

「あの昔のツイートひとつでリアンという人間が決定づけられてしまった。でも違う。彼女は君らと一緒に毎晩プロテストをしていたじゃないか。誤解されたくないから何度でも言う。とんでもなく醜悪なツイートだ。ひどい内容だった。だけど彼女は反省して謝罪した。十分苦しんだ。もう終わりだ。もう終わるべきなんだ。でもそうじゃない。この先ずっと許されることはない。」

「娘を擁護してるんじゃない。ホーリーランドを守ろうというんじゃない。保身でもない。でもこんなキャンセルカルチャーは間違っている。守りたいのはアメリカのこれまで築き上げてきた原則なんだ。どうかみんな目を覚ましてくれ。同意できなくてもいいんだということに同意しよう。それは至極健全なことなんだ。たった5人でいい、この状況を変えようと立ち上がってくれたらそれでいい。そこからまた5人、そしてまた5人とドミノのように流れが変わるから。」

「わたしにとってアメリカはお金を稼ぐためだけの場所じゃない。ここはわたしの家なんだ。だから命をかけて守る。わたしはもう誇り高きアメリカ人だ。この世界のどこよりもアメリカはわたしに与えてくれた。ホームと呼べる場所をくれた。だからわたしは戦い続けるよ。やめるもんか。アメリカの自由という原則を守るんだ。これが正しい選択だと信じてるよ。」

バリは静かにワディの独白に耳を傾けていた。ワディには底なしのパワー、彼自身の言葉を借りれば「ガッツ」がある。抑圧に耐え戦火を逃れ、自由と基本的人権を求めてこの国にやってきた移民にありがちなガッツが。一方でこの国に生まれ、何不自由なく暮らしてきた若者たちは言葉すら暴力だと怯え、大学にセーフスペースを作り、キャンセルカルチャーを生み出した。マイノリティの権利を謳いながら他のマイノリティを迫害し、常に他者の誤ちに目を光らせながら自身の落ち度には無頓着、気に入らない言葉を暴力で押さえつける、なんともいびつで醜い文化だ。

ワディ達が築き上げたホーリーランドは無差別攻撃を受け、崩れかかっているように見える。しかし我々はホーリーランドの再生を神話のように信じている。壊れたレンガの一つ一つを、様々な人種の手が拾い集めて積み上げていく様を容易に想像できる。アメリカンドリームとはそういうもので、アメリカとはそういう国だと知っている。再建の時は、今だ。

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(写真中央がワディ。右は愛娘のリアン)


*読んで頂きありがとうございます。ホーリーランドのウェブサイトでは様々な慈善活動の内容と募金先が紹介されていますので興味がある方はご覧下さい。もちろん地元にお住まいで食べて応援したいという方は是非!



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