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嘘松 in アメリカ

「嘘松」というミームがある。承認要求が肥大したネットで、実話と称して投稿される荒唐無稽な体験談のことだ。

日本特有のネット文化と思われがちだが、英語圏にもよく見られる。ネットのトレンドやミームを記録するKnow Your Memeによると、英語版「嘘松」の原型は2012年のRedditでバズった「バスの英雄(The Bus Knight)」という投稿らしい。

バスに乗っていたら最高な出来事に遭遇した。カップルらしき男女が乗ってきたのだが、運賃が足りないようでなぜか運転手に難癖をつけ始め、人種差別的な言葉で罵った。すると乗客の1人が立ち上がり、勇敢にも運転手を庇った。「やんのかてめえ?」と男が言うと、この頼もしいヒーローは「やってやろうじゃないか。降りろ」と応戦の構えを見せた。乗客に緊張が走る。男はバスの外に立ち、女は「徹底的にやっちゃってよ」と息巻いた。しかしヒーローは静かに運転手に向き直ると「今だ、ドアを閉めろ」と言い、自分の座席にゆっくりと戻っていった。運転手はドアを閉め、バスは走り出した。乗客は皆どよめき、拍手し、歓声を上げた。抱き合う人たちもいた。俺は窓から、遠ざかるカップルに向けて中指を立てた。

ここから様々な派生系が生まれるのだが、嘘松の特徴である

・社会正義や道徳心をくすぐる内容
・公共の場
・衆人環視
・ヒーロー/ヒロイン的存在
・皆が一斉に拍手

などが網羅されている。「皆が拍手」の部分は特に効果的な締めの句として多用されたため、この手の嘘松は大抵そのまま“Everybody clapped story”と呼ばれる。日本語らしくいうなら「皆拍」か。

上記の特徴だけを見ると日本の嘘松と似ているが、ここ数年でアメリカの「皆拍」は様変わりした。社会正義マンによるヴァーチュ・シグナル(自らの美徳を誇示し、自身の信じる善行や道徳的価値観を他者にも強いる行為)を纏った説教臭さが増し、オーソドックスな人種ネタに加えジェンダーや党派性を煽るものが多くなった。例えば「MAGA帽を被った白人男にミスジェンダリングされた」などである。またある種の活動家文化を反映するかのように、子供をダシにする話が増え、テンプレ化した。「3歳の娘に『トランプは負けたよ』というと彼女は『もう怖い夢を見なくていいんだね』と嬉し泣きした」という具合である。

実例を挙げる。これはバイデン大統領の就任式後に、クリントン夫妻の娘であるチェルシー・クリントンがツイートしたものだ。

『数字の好きな我が息子エイデンに、「今日は21世紀の21番目の年の21日目よ、すごくない?」というと、息子は間髪を入れず、「そうだね、だけど今日がバイデン大統領が一日をホワイトハウスで過ごす最初の日だよ。そっちの方がクールだよ」と。やっぱり彼はわたしの子だわ!』

チェルシー・クリントンの息子が当時4歳であったことを考えると、この内容は疑わしい。しかしリプ欄での「はい嘘松」、「そして皆が拍手した」という煽りをよそに、バイデン就任を祝うのに充分な数のいいねを獲得したのは確かである。

もうひとつ、多用される嘘松テンプレを挙げる。

これはつい先日見かけたもので、「黒人のわたしが病院内を歩いていたら、清掃員と間違えられた。わたしは医師である証拠にIDを見せねばならなかった」という人種・性別バイアスがテーマの嘘松(話の真偽はともかく既にそう認定されてしまっている)である。黒人の部分が他の有色人種や女性になったり、スーパーで店員に間違えられたなどのバージョンはあるものの、メッセージは一貫している。「アメリカは差別と偏見にまみれた国だ」ということが言いたいわけだ。

全身スーツの男性を清掃員と考えるのも不自然だし、そもそも清掃員に間違われて憤慨することこそが職業差別の表れである。それらを指摘され投稿者はリプ欄を閉じた。リベラル社会正義マンは、自分の内面に潜む悪に対していつも無頓着だ。

架空のストーリーでも、批判されようとも、結果的にバズればこうしたナラティヴのひとつひとつは世論形成の一助となる。大統領選・コロナ禍・全米暴動のトリプルコンボで、嘘松の党派性はかつてないほど色濃くなり、よりセンセーショナルな妄想がまかり通るようになった。もはや嘘松は一時の承認欲求を満たすためだけのものではない。立派なプロパガンダの道具なのである。


最後に嘘松カルチャーを揶揄するジョークツイートを紹介して記事を終える。

俺:作り話の俺らのこと、Twitterに載せてごめんな
妻:(スプーンでキャビアを俺の口に入れながら)まあいいわよ、少なくともあなたのアレは大きいもの


(終わり)




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