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映画に出てくる「まぬけ野郎」、マジで要らん説

映画に登場する「まぬけ野郎」について俺は怒っている。言葉が強いのであらかじめ詳しく説明しておくと、ストーリー上に現れる、何かしらの邪魔をしてくる奴、嫌がらせをしてくる奴、本質とは逆の自己中心論でかき乱してくる奴のことである。

例をあげれば、努力を重ねてスター街道を駆け上がる主人公の服や靴を隠したり、大切な写真やお守りを盗んだりしてくる奴である。

もっと例をあげれば、天下分け目の戦いにおいて、開戦せずとも平和解決できそうなのに、ひとりよがりの理由から発砲命令を待たずに勝手に発砲する奴である。

これらのまぬけは、物語の展開上、どうしても必要なのかも…。なんてことを、かつて私も考えていたことはあった。

だがしかし、断じて不要である。

あえて下げてから上げる必要なんてない。ムカつかせてからすっきりさせる必要なんてないのだ。

普通に上がるだけで気持ちいい。自分の人生において考えたらわかることである。幸せが続く方が絶対にいい。変な不幸とか別にいらない。ずっと最高が最高の最高に決まってる。

いやいや、そんなことしたら映画が面白くなくなっちまうじゃん。

って声が聞こえてきそうだけども、間抜けがいなくても物語を展開させることはできる。

例えば、謎の感染症により人間がゾンビと化した世界で、生き抜くために必死に戦いながら治療法を見つける人々の話があったとする。

ここに間抜けを登場させるとこうなる。

強くて頼りがいのある主人公が女の子にモテるからといって、まぬけは主人公が無防備のときにゾンビを忍び込ませようとバリケードの鍵をあけてしまう。その結果、間抜けの思惑とは裏腹に大量のゾンビが乱入してめちゃくちゃの大ピンチになる。みたいな。

ゾンビがいるって非日常を「有り」として認めているのに、自分がモテないからといってゾンビを侵入させるバカがどこにいるんだよ。こんな「まぬけ」に頼った演出にすることで、物語が一気にアホっぽくなる。

結果として主人公は死なないし、女の子は死んじゃうかもしれないけど、結局はまぬけ自身がゾンビに襲われて死ぬって展開しかないんだから、もはやまぬけを出す必要すらないのだ。

だったらめちゃくちゃ強いゾンビが出てきてピンチになって、ただのビビリで何もできなかったやつ(一見するとまぬけっぽいやつ)が超がんばってゾンビ倒す方がよっぽど気持ちがいい。

ほかも全部いっしょ。服を隠しても、靴を隠しても、結局は服なし、もしくは靴なしでやりきっちゃう、もしくは逆にそれがいい、みたいな展開になるので、まぬけが何をしても無駄に終わるだけ。ただの時間の無駄。見てる側がイライラして、そのあと「まあなんとかなったか」ってくらいの少ない納得感しか得られない。

そもそも、靴を隠すなんて選択肢があることを映画で描くばっかりに、現実社会においても「隠せば俺に有利になるかも」っていうダメ思想が植え込まれると思ってる。

だから、マジでまぬけ野郎はいらない。そんなものに頼らずに面白い話、展開を描いてほしい。というか描ける。俺に相談しろ。まぬけの使用をなくそう。ダメ。ゼッタイ。

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