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妻と映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見て泣いた夜

今から約35年に公開された映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。26歳の妻は生まれてもいない。40歳の私はわずか5歳で、たとえ見ていても理解できるはずもない。

本作はいわゆる「ループもの」だ。時間が繰り返してしまうアレであり、その元祖とも呼ばれている。

そんな映画を、夫婦で深夜に見た。


そして妻は泣いていた。それを見て私も泣いた。


泣いた理由はさておき、20年前に初めて本作を観たときの思い出話をさせてほしい。本作は、私が学生時代にTSUTAYAでアルバイトしているときに、先輩から半ば強制的に見せられて知った作品である。

今でこそよくぞ見せてくれたと感謝しかないが、その日、先輩の家に向かう自転車のペダルが重かったことを覚えている。まったくもって興味がなかったのだ。

当時20歳の私はウィノナ・ライダーとか、クリスチャン・スレーターなどの青春映画に夢中であり、アニメ映画はドラえもんくらいしか見たことがなかった。そんな私に「人生において損をしている」とまで言い切り、無理矢理に自宅へ誘い見せてくれたのだ。

原作漫画の「うる星やつら」は読んだことはなく、少年時代にテレビで放送してたアニメ版を少し見た記憶がある程度だったので、そもそも話の展開が理解でききないと思っていた。しかしそれは杞憂だった。

ラムちゃんが宇宙人で、ピカチュウのように電撃が出せると知っていれば、それだけで事足りるからだ。ラムちゃんが、諸星あたるというスケべな高校生の行動に嫉妬して電撃を浴びせる。そんな学園ドタバタ劇を楽しめる気持ちがあれば、知らず知らずのうちに世界観に引き込まれ、気がつけば飲み込まれているのだから。

冒頭でも書いたが、本作はループもの。文化祭前日、泊まり込みで準備をする高校生の日常が、本人たちが気がつかないところで繰り返しているのだ。一体なぜ、なんのために、誰のために繰り返しているのか。それを考えようとした瞬間から、この映画の虜になっていることだろう。

登場するキャラクターそれぞれが魅力に溢れ、CGのない時代によくぞここまでの「迷い込んだ感」を出したなど言いたいことは山ほどある。また、ループする毎日が少しずつ崩壊していく様や、その謎に気がつくにつれて感じる恐怖感が学園コメディの世界で展開するからこその「沼」がそこにあるのだ。

もしかすると「35年も前に作られた映画を見る気がしない」、そう答える人もいるだろう。時代劇ならいいけど、中途半端な古さには耐えられないと。しかし、その概念をぶっ壊してくれる作品だから安心してほしい。これまで触れてきた過去の名作とは違う。もしも可能ならリメイクしてほしい、いや、逆にしないでほしい。このオリジナル版を超えることはないか!? などの無駄な妄想をしてしまうほどだから。

日本酒のコマーシャルで「飲めばわかる、納得の辛口」というキャッチコピーがあった。それを遥かに凌駕する「見ればわかる、納得の名作」がそこにある。

実を言うと、初めて見たときはストーリー展開の見事さ、ひとつひとつのセリフの素晴らしさに惚れ込んだのだが、20年経ち、妻と一緒に鑑賞したときには新たな発見があった。

ラムちゃんの純粋さである。

一途に誰かを愛するとかではない。究極の純愛とかでもない。もちろん恋愛要素はあるが、それだけではない。

強いて言うならば、楽しかった旅行の帰りの電車で感じる、これが行きの電車だったらどんなに幸せか…という願望に近い。純粋とかピュアとか、なんとなくニュアンスで感じていた意味を、この映画でまざまざと見せつけられ、心から理解することになったのだ。

タイトルのビューティフル・ドリーマーを意識したとき、頬に伝う涙から目まいにも似た感動を禁じ得ない。

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