見出し画像

ジュプ・エ・ポァンタロン (7)ちょっとお店番

 そのお店は駅から少し離れた上り坂の途中にあった。お店の看板はあまり派手にならないように緑色は淡い色合いになっていたが、それでも閑静な住宅街の中で目立つことは目立っていた。

 お店に入った孝子はそこが想像していた以上の空間であることがわかって興奮していた。
 入り口の目の前には品のいいグリーンのツーピースがマネキンに掛けられていた。
 奥の事務スペースから出てきた女性の店員さんは
「どのようなものをお探しですか?」
と優しそうに声をかけてきた。
 孝子は少し答えに迷った。答えに躊躇した。
 そして、やっとのことで言葉が出た。
「あのー」
「なんでしょう?」
「外から見てかっこいいお洋服が並んでいたので、勇気を持ってお店に入りました。見せてもらっていいでしょうか?」
 自分の気持ちを正直に話した。ジャスト・ルッキングの意味が自然と口から出てきた。
「いいですよ。ゆっくり見ていってくださいね。説明が必要だったら呼んでくださいね」
 店員さんはその場にいると孝子が緊張すると察したのか、奥の事務スペースに戻っていった。

 お店の一角にはジャケットが十着程度、緑色の濃い方から薄い方へと色調に少しずつ変化をつけながら掛けられていた。
 ブラウスは淡い緑色のものがマネキンの人形に着せられていた。周りをよく見ると、奥の棚に濃い緑と薄い緑、それに白とベージュのブラウスも畳んで置かれていた。
 なんと言っても、全体のディスプレーの感覚が孝子にフィットした。探していた場所はここではないだろうかと感じた。

 改めて、お店の中を三百六十度見渡した。このお店のどこかに求人の貼り紙はないだろうか。でも、そのようなものは見当たらなかった。窓の外にも貼ってある記憶がなかった。ガラスの裏側からも確認したが、何かが貼ってある痕跡もなかった。
 店員さんが出てきた。
「どうでしょう。何かご興味のあるものでも?」
 また、とまどってしまった。が、勇気を振り絞った。
「ここで働かせてもらえないですか?」
と聞いてしまったのだ。
「ここにある服たちが私を呼んでいるような気がするのです」
 普通に考えれば、明らかにおかしな女の子だ。だが、その時の孝子の気持ちを表現すると大袈裟ではあるがそういうことになる。

 女性店員は少し困ったような顔をして
「いま人が足りないというわけではないから、バイトもパートも募集していないの。それに見てのとおり、駅から離れた小さなお店で余裕もないの」
と申し訳なさそうに話した。
「でも」
 ちょっと間があいて
「ちょっとだけ手伝ってもらってもいいかしら?」
「なんでしょう?」
「少しだけお店番してもらえるかしら。お店の中をゆっくり見るついででいいんだけど」
「お店の中を全部、ゆっくり見ていいんですか。ありがとうございます」
「三十分ほどお願いできないかしら。もし、誰か来たら店長は三十分後に戻ってくるので待っててくださいって言っておいて」
「はい」
 店長さんだったんだ。
「あっ、そうだ。レジに近いテーブル席に座って、そこから洋服を眺めてもいいわよ。コーヒーを淹れてあげるから」
「いいんですか?」
「今日だけ特別。常連さんが来た時にはそのテーブルでゆっくりと洋服を見てもらっているの。あなた、洋服が好きそうだから、飲み物で商品を汚すこともないでしょう」
「はい、気をつけます」
 店長はミルクのたっぷり入ったカフェ・オ・レを淹れてテーブルに置いた。
「それじゃー。お願いね。三十分で戻るから、誰かが来たらそう言っておいてね」
 ともう一度言って出かけていった。

 孝子はテーブル席に座った。が、ここでカフェ・オ・レを飲むのは洋服たちに申し訳ないと思った。立ち上がってカップ・アンド・ソーサ―を奥の事務スペースに持っていき、小さいキッチンの開いているところに置いて、そこで立ったままカフェ・オ・レを少しだけ口に含んだ。ちょっと濃いコーヒーの香りが口の中に広がった。
 テーブル席に戻ってきた。少しの間、座って洋服たちを眺めていたが、近くから見てみたいという思いが沸き上がった。立ち上がって一点ずつ、近づいて、それでも触らないように距離をキープしながらゆっくりと見ていった。まるで芸術作品でも見るかのようだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?