【インタビュー】 政治はなぜ教育のジェンダーギャップを解決しないのか? 〜元自民党女性議員に聞いてみた!〜

1. はじめに

こんにちは。#YourChoiceProject ライターのSです。

今回の記事では、「政治はなぜ教育のジェンダーギャップを解決しないのか?」というテーマで、2015〜2023年まで自民党議員として東京都中央区の区議会議員を務めていた佐藤敦子さんにインタビューを行いました。

 政界におけるジェンダーギャップを目の当たりにして、今は米国でジェンダーについての研究をしているという佐藤さん。その経験を踏まえた話から、男性優位になってしまっている日本の政界の根本的な原因や背景についてなど考察してもらいました。

目次
1. はじめに
2. ジェンダーへの違和感から研究の道へ
3. 日本の政界で感じたジェンダーギャップ
4. 教育関連の政策が通りにくい理由
5. まとめ

2. ジェンダーへの違和感から研究の道へ

 佐藤さんは、2015年に初当選後、2023年まで東京都中央区議会議員として「ママ議員」として活躍。教育や子育て世代のための政策についての提言を行ってきました。当時、自民党では戦後55年体制からたった2人目の女性中央区議会議員として働きながらも現在、キャリアを一転して、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科にて、ジェンダー政治、政党組織の研究をしています。

政治家から研究者へ転向した理由には、日本の政界で感じたジェンダーギャップの高い壁があったそうです。 

「大学院でジェンダー、政治の研究を始めたのは、政界における男性優位の現状を実感したからです。政界にいた当時、“能力さえあれば男女は関係ない”と叱咤激励されましたが、実際には、その“能力”が”男性の視点で考えられた能力”ですので、女性が女性ならではの能力を発揮しても評価されないということが起こり得るのです。

女性が“能力”を示したい場合、男性とはまったく異なる実力を示すか、男性の倍頑張って男性以上の“能力”を身につけるか、いずれかになります。しかしそれで“能力”が評価された後も、男性同士で強固に結びついているホモソーシャルなコミュニティに入っていけないという別の障壁が立ちはだかりました」

3. 日本の政界で感じたジェンダーギャップ

 世界経済フォーラムが発表した、2024年度の日本のジェンダーギャップ指数は146か国中118位であり、特に政界における格差は大きいと認識されているようです。このことについて、佐藤さんは政治家時代の実体験をもとに、こう分析します。

 「日本の政界では、現状において女性の数が圧倒的に少ないため、女性は“お飾り”になってしまいがちです。選挙に向けたアピールのために、何かと改革や新しいものの象徴として据えられることが多いものの、一方で政治的な実権を握ることができないことがほとんどです。

私自身、2015年に初当選後すぐ、福祉保健委員の副委員長に就任しました。ところが、出世が早いと思われていた一方で、実際には政治的権力はなく、重要な意思決定には入れなかったんです。政策の意思決定に参加する場合、与党(自民党)の中で発言力を持つことが何より重要になってきますが、女性の場合は能力というよりも議員歴が重要視されていたようです」

 こうした傾向が顕著にあらわれている例として、子育てする女性の意見が政策が反映されにくいということがあるようです。「ママさん議員」などとメディアで取り上げられることもありますが、彼女らの意見が現実に政策に反映されているかは疑問だと言います。まさにひな壇にあげられてはいるが、実体としての政治的影響力を持たない事例です。
 
 「政界における男性優位の原因として、主に2つのことが考えられます。

まず1つが、金脈や人脈といったネットワークが男性のみで構築されがちで、女性を疎外した状況で成り立っているということ。2つ目に、政治活動と家庭の両立が難しいことです。

政治活動では、例えば町内の人たちと明け方まで飲むなど、対面での活動が主になります。駅前や選挙カーでの街頭演説など『どぶ板選挙』のやり方がいまだに踏襲され、『雨の日も雪の日もわざわざ会いにいく』という価値観が重視される世界です。それから今の日本においては、まだ女性の性別役割分業が根強くある中、家庭では母親や妻という立場を求められながらも、こうした非合理的な活動もしないといけないということの相性の悪さがあるのではないでしょうか。」

4. 教育関連の政策が通りにくい理由

 現状、教育における性別格差や地方格差の解決を阻んでいるのは何なのか、また教育の格差を埋めようとする政治的な動きは起こらないのかといった疑問に対して、佐藤さんは、考えられる要因を次のように述べてくれました。
 
 「関心のある議員、官僚はいるかもしれませんが、政策には反映されにくいかもしれません。

その理由として、1つは文部科学省(教育に関わる省庁)の力が弱いことが挙げられます。文部科学省で何か議論を持ち込んだとしても、予算も低く、省庁として弱いので、望む政策は実現しにくいのです。逆に、財務省などの強い省庁の官僚が望む政策は実現しやすいです」

また、省庁のパワーバランスの他にもバックに強い利益団体がいないということを指摘します。

 「例えば、開発や建設などの公共事業を考えてみると、公共事業をすることによって潤う人や企業があります。公共事業をたくさんするという約束のもと、その人たちから票をもらって当選する議員は、いわゆる『族議員』と言い、その人たちの『利益の代表』になります

そのような議員はバックに企業という確固たる組織がいるので、具体的に何票持っているかがわかりやすく、政治的な力が強くなります。しかも、そのような組織との繋がりは親から受け継ぐ場合も多く、従ってここでも男性優位が生まれやすい構造となっているのです。

しかし一方で、『教育の性別格差を埋めます』といったところで、別に特定の人たちや組織がバックに着くわけではありませんし、具体的に何票あるかがわかりにくいですよね。従って、そこに関心があるような議員は政治的な力が相対的に弱くなってしまうのです」

5. まとめ


 いかがでしたでしょうか?佐藤さんのお話を聞いて、自分が最も感じたことは、平等に見えて平等ではないことがいくつもあるのだなということです。


 例えば、3で述べたことですが、日本ではまだ家庭での男女の役割が分けられていて、それを外れると家庭を蔑ろにしていると言われるということ。この中で意思決定に参加するには女性が不利になりやすいでしょう。他に佐藤さんが指摘していた例として、「性別にかかわらず活躍した人を登用する」という考え方自体はいいが、そもそも活躍したかどうかの価値判断が男性優位の中で進んでいたら意味がないなど。


 結局我々一人一人の「平等」に関する意識が変わらなければ、何も変えることができないのだと実感させられました。

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