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【プロサッカー選手を目指していました。〜幼少期③〜】

【環境】を変え、サッカーへの意識が変わり、高学年になると、選抜やトレセンなどに選ばれる事も増えた。

5年生になると、東急Sレイエスのジュニアチームに合格。(当時は自チーム優先のジュニアチームでした)
川崎市北部選抜に合格。
川崎市選抜に合格。
神奈川県トレセンに選出。

などなど。要するに選考会というもので落ちた経験がなく、自信に満ち溢れていました。

そんな僕にもう1つチャンスが来ました。
それは川崎フロンターレのスペシャルクラスへの練習参加。(現エリートクラス)

恐らく、市の選抜活動などでのプレーが評価され、練習参加が決まりました。
スペシャルクラスには既に選抜などで一緒の選手も所属していて、一つ下のフロンターレジュニアの板倉滉・岡田優希・三好康児、飛び級でジュニアに合格していた三笘薫もいました。

普段から一緒にプレーしていた選手も多かったので、特別緊張などはなく、いつも通りのプレーが出来ました。

練習後に課題を山ほど頂き…次の週も練習参加。
翌週も練習後に更に課題を頂き。
同じタイミングで練習参加した選手で既に合格を伝えられた選手もいたので、自分はダメだったんだなと察していました。

それから何度か練習には参加していたものの、毎度毎度、練習後に課題をチクチクと…笑

自信に満ち溢れていた僕は、プライドも高くなっていき、コーチとのその時間が苦痛でした。今までに感じたことのない屈辱感を今でも覚えている。
そんな僕は、チームの監督に「次、合格が出ないなら、もう行かない」と伝えた。(今思うとすごく偉そうで、恐ろしいですね。笑)

ただ、経験したことのなかった「屈辱感」が僕を成長させてくれたと思います。
それからも監督に説得されて、何度か練習に参加しました。それまでは、「合格しなきゃ」とか「いいプレーをしよう」とか、どこかでそんな気持ちがありました。しかし、屈辱を味わえば味わうほど、その思いはなくなり、逆に「何くそ根性」でこのコーチが認めるまでとことんやってやろうという気持ちに変わっていきました。
そんなこんなで最終的に結果は「合格」。合格を伝えられた時でさえも、課題を山ほど頂き、この内容じゃ不合格なんじゃ?と思う程。あんなにすっきりしない合格は最初で最後でした。笑

スペシャルクラスに入り、ジュニアの選手達と練習する事であることに気づく事が出来ました。
「指摘」される事にかなりストレスがあり、受け入れることが難しかったが、まずはしっかり受け止めて、実行する事にしました。そして、わからない事や疑問があれば、コーチに意見をぶつけることにしました。
なぜ、そんなことをしようと思ったのか。
それは、ジュニアに所属する選手がみんなそうしていたからです。年下とは思えないほど、うまかった。そして、【上手く・強く】なっていくのを感じていました。
板倉滉・岡田優希・三好康児・三苫薫をはじめとする選手達は、かなり厳しい要求をされても、まずは必ず実行する。そして、練習の途中であろうが試合の途中であろうが監督やコーチに自分の主張をしていた。「自分にはこう見えた」「なぜですか?」など、自分の意図や疑問を直球でぶつけていて、監督・コーチも否定せずに対等に意見交換していた。勿論、選手同士も。この光景を初めてみたときは、ヒヤヒヤしました。笑
どこかで喧嘩が始まってもおかしくないくらいの熱量。主張は十人十色、噛み合わない時もある。だけど、みんな統一されていたことは【素直】な所。
意見はぶつかるんだけど、指摘されれば素直に受け止めていた。だから、自分が恥ずかしく思えた。自分ももっと素直になろうと思えた。

だから、自分のプレーに意味を持つ為に考えたし、主張する事を意識した。
仲間・コーチに要求されることがあれば、まずは実行してみた。
出来ることが増えて、指摘に対しても前向きになっていることに自分自身でも成長を感じていたから、意見のぶつかり合いも含めて、サッカーが楽しくなっていった。

でも、振り返ってみれば、俺様時代の僕は、「素直」だったなと。
内容は濃いものではなかったけれど、主張もしていたし、コーチに言われたことは喜んで実行していた。
【環境】が変わり、変えてはいけない部分も自然に変わっていってしまっていた。どこかで自分を守る為に素直になれていなかったのかもしれない。
この時に素直な自分を取り戻すことが出来て本当によかった。

そして、川崎フロンターレU15に入団が内定した。

どんな環境であろうと、常に自分と向き合い、素直でいられること。
現在もプロとして活躍する選手たち、全員に共通する事で、これが成長する為に、絶対的に必要なこと。


次回からは、ジュニアスースを振り返っていこうと思います。
それでは、また!!



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