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保育園から幼稚園に進学する普通の話

swd ysk(95年生まれ 浦添市出身)

 大学進学を機に上京してから、早7年がすぎました。沖縄と東京(内地)のギャップは味わい尽くし、実家に帰省したときに58号線の片側がフェンスで埋まってることや、深夜と呼べる時間帯に米軍ヘリが轟音で飛んでいくのに「こんなにうるさかったのか」とびっくりしてしまうくらいには、沖縄に住んでた頃の「普通」がぼやけ、東京での生活が普通の風景になっていました。
 私はついに東京に染まってしまった人間…都会の人間…さようなら故郷…みたいに思っていましたが、今年に入って衝撃を受けたことがあります。
 それが、「保育園の後に幼稚園に進学しない件」です。

 私の幼少期を例に説明しますね。
0歳〜5歳:保育園
6歳:市立小学校に併設された幼稚園
7歳:市立小学校入学

 周りの同級生を見てても、
①保育園→幼稚園
②幼稚園のみ
③保育園・幼稚園どちらも行っていなかった
 この3つのパターンのどれかの子が多く、保育園から小学校に進学した同級生の記憶がなかったんです。だからなのか、私の中では保育園と幼稚園はどちらも行くことができるものだと思っていたんです。

 ある日、どういうタイミングでこの話になったか忘れたんですが、同居人(埼玉県出身)と保育園活動みたいな話題を話してて、同居人は幼稚園だけ行ってたとのことで、幼稚園だけ行ってたタイプか〜と思いながら、私は保育園行ってから幼稚園行ったタイプだよ〜と話してたんですよ。
そこで同居人から一言。

同居人「え、保育園から幼稚園行ったって、何?」

(理解に必要だった間)

私「『え、保育園から幼稚園行ったって、何?』って、何?」

理解が早い同居人「(小学校入学前に)保育園の人は保育園、幼稚園の人は幼稚園にしか行かないよ」

(さらなる理解に必要だった間)

私「『保育園の人は保育園、幼稚園の人は幼稚園にしか行かないよ』って、何?」

理解が早い同居人「保育園は0歳から6歳まで通えるところで、幼稚園は3歳から6歳まで通うところだよ」

(さらにさらなる理解が必要だった間)

私「『保育園は0歳から6歳まで通えるところで、幼稚園は3歳から6歳まで通うところだよ』
ってことは、保育園から幼稚園に進学することって、一般的ではない?」

理解が早い同居人「そう」

やっと理解した私「え!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 そう!そうらしい!そうらしいのだ!!!

 保育園→幼稚園→小学校の流れって一般的ではない(らしい)。
 沖縄出身のみなさん知ってました?これ調べてみると、沖縄だけらしく、市立の小学校に幼稚園が併設されてるのも沖縄だけとのこと。アメリカ統治時代の就学前教育として始まったみたいですが、明確な出典元がざっとは見つかりませんでした。まあ、アメリカ統治時代の名残だったとしたら、こんなとこにも影響残ってるんか〜〜〜〜い!!!!!!と上京7年目で久しぶりに衝撃を感じました。

 ちょうどこの保育園→幼稚園の話をするよりちょっと前に、コザ騒動のドキュメンタリー(『ETV特集 「沖縄が燃えた夜〜50年後の告白〜」』)を同居人と見たんです。お恥ずかしながら、このドキュメンタリーを見るまでコザ騒動について知らなくて。こんなに苛烈な騒動があの街で起きたことに驚いたし、コザ騒動の関係者へのインタビューや騒動の映像などから当時の怒りが自分の中に流れ込んでくるようなドキュメンタリーでした。このドキュメンタリーを見てから、アメリカ統治時代の影響は自分の思いもよらないところに沢山根をはってるんだろうな〜とぼんやり思うようになりました。

 そういう直後だったこともあり、保育園から幼稚園に行くっていう普通の話、普通じゃなかったみたいでなかなかの衝撃でした。どうりで話が噛み合わないわけだよ。

 何年経っても、これ沖縄だけだったんか〜いと思うこと、あるものですね…。見慣れすぎてなんとも思ったことがなかったエンダーが一般的なファストフード店よりかなりアメリカンダイナーの雰囲気を持っていたり、県内で売られているパック飲料が1000mlではなく946mlだったり。パック飲料が946mlなのは、米国のガロンという液量単位を用いてた名残なのだそう。

 いや〜ちょっと考えてみるだけでも、いろんなところに「これ、アメリカ統治の影響かも?」がありそうです。

 何年住んだとしても、生まれ馴染んだ環境の刷り込みは強い。沖縄に抗えず、東京に慣れきらない。私がほぼ東京人になるのは、まだまだ先のことみたいです…。

それでは!

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